英語の難しさ

これまで英語の難しさをいろいろ書いてきましたが、その難しさを分析して書いている記事がありましたので、こちらに転載させていただくことにしました。この難しさを理解すれば、話せるようにはどうしたら良いかということの、ひとつのヒントになることと思います。


なぜ日本人は英語が話せないか。
松岡裕紀

よく英語やスペイン語の単語の日本語の意味を訊かれる。だが、そのような場合、その単語だけを取り出して訊かれても、多くの場合答えることが出来ない。なぜなら、英語やスペイン語などの西洋の言語は「文脈重視」の言語であり、日本語のように「単語重視」の言語ではないからだ。
どういうことかと言うと、こちらのブログに詳しくあるが、日本語の9割を理解しようとすると1万語の語彙を覚える必要があるが、英語やスペイン語だと3000語で済む。

よって、ひとつの単語でも多くの場合、複数の意味があり、文脈によってその意味が変わる。だが、日本語の場合は、だいたいはひとつの単語にはひとつの意味しかないので、その分覚えるべき単語が増えるが、単語だけ抜き出しても意味は分かる。

英語の場合はパラグラフ全体を読まないと、その正確の意味を日本語にすることは出来ない。なぜなら、文脈によって意味が異なってくるからだ。

9000~10000語レベルの「手本」「判例」「駆け引き」「選抜」「裏口」に相当する英単語「model / example」「precedent」「tactics」「selection」「back door」を
VocabProfiler(http://www.lextutor.ca/vp/eng/)という語彙水準判定サイトで調べると
「model」「example」「tactics」「back」「door」は、頻出順500語の中にあり、「precedent」「selection」は頻出順2000語以内には無いものの、学術共通語彙を集めたAWL (Academic Word list 570words)にはしっかり含まれている。


上記のように日本語で一見難しいと思う単語も英語に直すと、意外と簡単になる。だが、日本人の英語学習者の多くはまずは日本語で考えてから英語を話そうとするので、「駆け引き」なんて単語がまさか「tactics(タクティックス)」なんて簡単な英単語で表現できるなんて思いつかない。

また英語の場合句動詞(Phrasal Verbs)が事態を非常にややこしくしている。例えば「drop in」という表現があるが、日本語に訳すと「ちょっと立ち寄る」という意味になり、逆に「drop off」になると、「うとうとまどろむ」という意味になる。

動詞と前置詞(あるいは副詞)の組み合わせによって、その意味が全く違ってくるが、日常的によく使う表現が多いので、きちんと覚える必要がある。(英文のサイトですが、こちらにたくさんの例が載っています)

受験英語の弊害だと思うが、いつまでも単語重視でひたすら実用性ゼロの難しい英単語を覚えるよりは、上記のような句動詞をできる限り覚えたほうがはるかに実用的だ。

英語は単語で表現する言語ではなく、文脈で表現する言語だ。だから、日本語から英語への翻訳はすこぶる相性が悪い。だからこそ、まずは頭の中で日本語から英語を訳すのを止めて、自分が知っている単純な英単語だけを使って話すことから始めるのがいい。話すことがハードルが高いのであれば、Lan−8などの無料サイトで、英文添削をしてもらい、それを丸暗記して話すことに役立ててもいい。

日本語の弊害で、難しいことを英語で言うのに、難しい単語を使うと思いがちだが、英語での表現はなるべく簡単に簡潔に言うのがとても重要だ。SVO(主語・動詞・目的語)の構文を使い、簡単な英単語を並べるだけでも、コミュケーションの9割は問題なく取れる。

とにかく受験英語は一旦忘れて、いかに英語でコミュケーションを取るかという観点から英語を一から学び直すことが重要だと思う。

ムカデの自意識

私の好きな田坂氏の、風の便りです。

 田坂広志 「風の便り」 特選  第61便
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https://mail.google.com/mail/u/0/?hl=ja&shva=1#inbox/13a7804e278641c4


 ムカデの自意識



 「百足」と書いて「ムカデ」と読む。
 この不思議な虫の、苦難の物語です。


 ある暑い夏の日、
 ムカデが一生懸命に歩いていました。
 すると、通りかかったアリが言いました。


  ムカデさん、凄いですね。
  百本もの足を、
  絡み合うこともなく、
  乱れることもなく、
  整然と動かして歩くなんて、
  さすがですね。


 その誉め言葉を聞いて、
 ムカデは、ふと考えてしまいました。


  なぜ、自分は、
  これほどうまく
  百本の足を動かせるのだろうか。

  アリさんの言うとおり、
  絡み合うこともなく、乱れることもなく、
  なぜ、整然と動かして
  歩くことができるのだろうか。


 そう頭の中で考え始めた瞬間に、
 ムカデは、一歩も動けなくなってしまいました。

 先ほどまで、何の苦もなく無意識に動かしていた足を、
 一歩も動かすことができなくなってしまったのです。


 このムカデの姿は、
 我々の姿に、似ています。


  自意識の病。


 その病によって、
 我々は、いつも、
 力を発揮できなくなってしまうのです。



 2002年3月14日
 田坂広志

話し合いの技:まちづくり市民会議を傍聴する

16日夜、関市まちづくり市民会議を傍聴しました。

前半は企画政策課から総合計画の位置づけとまちづくりについて、次に財政課から関市の財政状況について説明がありました。内容をメモしようとしたのですが、話について行けず断念。

予め配られた資料に基づいて話されたのですが、それぞれの項目について、資料のどこを見るべきかを指摘してから話してくださると、もう少し私も理解できたに違いないと思います。

例えば、話の中で「市税総額と徴収率の推移については、、、」と言われると、その項目をページの中に探している間に話がどんどん先に進んでしまって、結局話の内容が理解できないままに終わるという状況でした。私にとっては話の内容自体がなかなか難しいので、グラフや表を見てはじめてなんとかその状況が理解できるものだったのです。

もっとも、ついていけなかったのは私だけかも知れません。というのも、その後の話し合い、これをワークショップと呼んでいましたが、その場ではどんどん意見が出たからです。

このワークショップはとてもよかった。前半で聞いた説明に基づき「関市の財政における課題とは何か」というテーマで話し合いが行われました。20人足らずの参加者が4つのテーブルに分かれ、それぞれのテーブルには模造紙(B紙)と付箋が用意されています。そこで各テーブルの参加者は思い思いの意見を付箋に書いて、模造紙に貼り付けるのです。

このやり方ははじめてだそうで、このような形式が今はよく行われているそうです。とても良い方法だと思いました。

第一に、一つの意見に一枚の付箋を使うので、意見が明確になること。

第二に、その付箋を模造紙に配置することによって、意見のまとまりが視覚的に認識できること。話の内容を聞くだけよりも、目でその位置関係を確認できることで、議論の概要をとても理解しやすいと思いました。

テーブルにはカラーのマーカーが何色も用意されていて、これを有効に使えばもっとわかりやすくなったに違いないと思いますが、単色しか使われていませんでした。

また、各テーブルにはファシリテーターという係の人が配置されていました。何も言わずじっと話し合いを眺めている人もあれば、議論の骨子となるべき項目を模造紙に書いている人もあり、また別のテーブルでは内容ごとに付箋を集合させたりしている人もいました。

傍聴席を離れなかったので遠くのテーブルで何が行われていたかほとんどわかりませんでしたが、最後の発表の段階では、意見のまとまりごとにマーカーで大きな円を幾つか書き、その中に付箋を集めて貼っていたグループでは、それぞれの思いがバラバラに出る中で、それらの意見が集約され、そのテーブルの参加者にまとまった形で共有されたであろうことが推察されました。

このような形式の話し合いはまだまだ普及し始めたばかりのようですが、上に述べたような理由から、より意味のある話し合いにするにはとても有効だと思いました。

課題はファシリテーターだと思います。参加者から忌憚のない意見を引き出し、上手に集約する。これがうまくいくと、同じ参加者であっても、参加者自身が議論の内容を整理し理解しながら進むことができる。ひいてはそこから得られる実りも多くなると思いました。この日が初めてだということですから、会を重ねるごとに経験が蓄積されて、ますます実りのある会合になるだろうという期待を持ちました。今後も引き続き、傍聴しようと思います。

暮らしの中の匂い

最近はめっきり涼しくなりました。涼しくなると急に料理をしようという気になって、この間は銀杏おこわを作りました。昨日は人参の葉と玉ねぎのかき揚げ。栗も煮ました。台所には揚げ物の甘い匂いや栗の匂いがいっぱい。

匂いといえば思い出すのが子供の頃。隣では牛を飼っていて、牛糞を敷地内に積み上げて堆肥にしていたので、学校から帰る途中、暑い季節には牛のうんこやおしっこの匂いがしました。

それから稲の苗を作る苗田の匂い。

実家では山羊を飼っていて、山羊の乳の匂いとか敷き藁の匂いを今も覚えています。

春には若葉が萌え出る匂いがし、秋には刈った草を燃やす時のちょっと酸っぱいような匂いが。

暮らしの中にはこうした匂いで満ちています。山から漂ってくるかすかなきのこや木の匂いも大好き。実に様々な匂いを私は嗅いで育ちました。今もその匂いを覚えているし、ある匂いを嗅ぐとそれを嗅いだ時の情景がまざまざと浮かんできたりします。

私にとって、匂いも景色の大事な一つなのです。嫌な匂いも、いい匂いも。

Shall we dance?

リチャード・ギア主演「Shall we dance?」を見た。実はこれが三度目。ストーリーも面白いが、ダンスをする様子が実に美しい。優雅だ。何度見ても、見とれる。手指の筋肉1つ、ステップ1つとっても、音楽との深い親和性を感じることができる。血の中に深く深く染み込んでいるからだろう。

これのオリジナルが日本だと知って、びっくりした。オリジナルが日本ということになれば、この映画自体の鑑賞の仕方も違ってくる。日本の場合は、ごくありふれた日常を送っていた男が、ダンスという非日常に片足を突っ込むことでドラマになる。

一方これがアメリカの話なら、この非日常性は大きく失われる。アメリカ版では、ストーリーもキャスティングも、オリジナル版を重要視していて、オリジナルにできる限り沿った映画にしたかったという意図が見えるのだが、ダンスという文化の位置づけが大きく異なるために、映画自体の意味もやや異なってしまうような気がした。

それはともかく、映画のテーマ自体はよくある種類のものなので、この映画ではダンスの美しさ、身のこなしの優雅さを私は堪能する。

河を知らぬ旅人

今日は田坂広志の風の便りを紹介します。
https://mail.google.com/mail/u/0/?hl=ja&shva=1#inbox/13a531aff9e09867

河を知らぬ旅人



 山奥に住む人が、旅に出ました。
 そして、旅の途上で、
 河にたどり着きました。

 彼は、生まれてこのかた、
 河というものを見たことがありませんでした。

 しかも、その河には、
 橋が架かっていました。

 旅人は不思議に思い、
 通りかかった地元の人に、
 「これは何ですか」とたずねました。

 その地元の人は、
 多くの知識を持った若者でした。

 彼は、こう答えました。


  ああ、それは、
  鉄筋とコンクリートの複合構造物ですよ。


 その答えは、
 「橋とは何か」についての
 正確で詳しい説明でしたが、
 旅人にとっては、
 不親切な答えでした。

 そこで、次に通りかかった地元の人に、
 もう一度、「これは何ですか」とたずねました。

 その地元の人は、
 豊かな体験を持った老人でした。

 彼は、こう答えました。


  ああ、それは、
  河を渡るためのものですよ。


 その答えを聞いて、
 旅人は、
 橋の本質を理解しました。


 いま、世の中には、
 この若者のような説明が溢れています。

 しかし、我々が本当に求めているのは、
 この老人の語る言葉なのでしょう。


  「意味」を語ること。


 そのことの大切さを、
 この物語は教えてくれるのです。



 2002年3月7日
 田坂広志

習慣は人を作る

習慣に早くから配慮した者は、人生の実りも大きい。

日野原重明