手話教室

手話教室ももう8回目を数える。今日は趣味について話すための手話を習った。回を重ねる毎に会話の内容は複雑になる。そうすると自分が言いたいことを要領よくまとめないと相手に伝わらない。

相手に考えを伝えるということは、言葉を沢山知っているということとどれくらい関連しているのだろうか。言葉を沢山知っていればそれに応じて伝える能力も増すような気がするが、私の経験では必ずしもそうではない。

英語の場合を考えてみると、単語を沢山知っているからといってそれに応じて会話能力があるかというと、そうでもない。話の内容をどうまとめるか、これが肝心だ。一つ一つの内容をどのような順番で話すか、結論は何か。これが頭の中で整理されていないと、何を言っているのか分からないということになる。
例えば、「義理の妹がやっているレストランでウエートレスをしている。そこは客が多くて昼は忙しい。」という内容を伝える場合、「私はウエートレスで忙しい。特に昼時は忙しい。その店は妹がやっている。」というように、情報のつながりがはっきりしないと、情報をつかむ方がバラバラの情報を改めて組み立てなければならないために、聞き取りにくく、理解もしにくい。

というわけで、自分が普段話している言葉で分かりやすい、筋の通った話がいかにできるか、これが他の言葉をしっかり話せるようになる条件であるように思う。そのためにはやはり母国語をしっかり確立して、論理を組み立てる能力を身につけることが必要だ。

正しい文章の組立て方を身につけなければならない。その程度に応じて他の言葉もしっかり話せるようになる。ではどうやって正しい文章を身につけるのか。私は正しい文章が書いてある本を読むことで身につけた。子どものころは例えば名作文学全集など。いわゆる名作といわれるものは内容もさることながら文章の質が高い。複雑な文章の組み立て方も楽しみながら自然に覚えられる。翻訳をするようになってからは、翻訳する分野の本を読んだ。マニュアルから論文まで、様々な資料を読んで各分野で使われている言い回しを勉強した。日本語を知らないことには日本語に訳せないからだ。言葉を学ぶ場合必ずしも本でなくても良いが、いずれ入力したものしか出てこない。つまり、漫画ばかり読んでいる人は漫画に出てくるせりふのような短い文章しか作れない。技術書ばかり読んでいる人はそこに出てくる一種変わった日本語しか作れない。軽い読み物ばかり読んでいる人は軽い文章しかできないのである。これは何も読む本ばかりに限ったことではなく、その人のおかれている言語環境についても同様のことが言える。いずれにせよ、インプットしたものしか出てこないのである。

長年英語を教えていて分かったことは、英語の成績と英語を話す能力とは一致しないこと、日本語が下手な人は必ず英語も下手であること。
まず以て母国語をしっかり確立させることが必要だ、ということは間違いないことだと思う。

というわけで、手話教室はいろいろな意味で示唆に富んだ、学ぶところの多い授業だ。関にも手話サークルがあるそうで、この講座が終わったら参加してみようかな、と思っている。