百年の孤独

百年の孤独
ガルシア・マルケス 著
鼓 直 訳

質の高い文学を読むと丁寧に彫られた彫刻を連想する。文章の一つ一つ、言葉の一つ一つが彫刻刀の一彫りに似てすばらしく緻密な作品が構成されてゆく。例えば三島由紀夫の一部の作品とか、谷崎潤一郎の長編などに私はそんな無駄のない彫りを感じる。しばらく前からそんな文学作品を読みたい気持ちに駆られていた私はとうとう今日、「百年の孤独」を購入した。最初の一ページでこれは当たりだと気づく。

そもそも題名からして私はこの本を買う前からすっかり惹きつけられていた。そしてページを開いた今、私の選択は間違っていなかったことに気づく。久しぶりに、静かな満足感と、ちょっとした嬉しい興奮を味わう。1972年出版、鼓直訳。

以前にも書いたが私は本や映画、店などを選ぶとき、まず題名で選ぶ。店なら屋号と店構え。それで間違ったことはあまりない。そうしてみるとまず最初に目に入ることになる本の題名や映画のタイトルには相当の思いが込められているに違いない。

それから最初の数ページ、映画なら20分ほどで、最後まで楽しめるものかどうかが分かる。ここでつまらないと思うものは更に読み進んでもおもしろくない。それはたぶん文章が持っている雰囲気のようなものに依存している気がする。どんな文章が好きかというと、これが説明できない。ある種の雰囲気を持つ文章だ。文学作品の時とノンフィクションの時とはもちろんまったく別の文体でありながら、何か共通して惹きつけるものがある。

百年の孤独」は冒頭の部分からすでに、何かただならぬものを感じる。現実から離れた、象徴的な村を題材として、現実の何かを描こうとしている。レイ・ブラッドベリの「何かが道をやってくる」という作品にもこれと似た感じを受けた。それから、スティーブン・キングの作品からも似た感じを受ける。現実を丁寧に描くことでそこからわき上がる抽象的な考えを描くのではなく、非現実を描くことで現実をより際だたせる、そういう手法がどっちかといえば、私は好きだ。

というわけで、本当に久しぶりに質の高い純文学を楽しむという優雅な時間を持つことができそうだ。先に読んだ「これからの正義の話をしよう」も、まったく別の意味で深く惹きつけられ、じっくり読んだが、今度はまた別の意味で楽しめる本に巡り会った。

そういえば「これからの正義の話をしよう」の著者、マイケル・サンデル氏が今週来日するらしい。金曜の7時からその講演の模様がにこにこ動画で配信される。