手話教室

手話教室もとうとう残すところあと一回のみとなった。
半年間10回ほどの講座ではいろいろな手話を習ったけれど、一番大きな収穫は手話というのがいわゆる言葉とは少し違ったものだということだ。手話は言語の原型のように思える。人間がまだ言葉を持たなかったとき、手を動かしたり表情を使ったりして自分の意志を伝えたと思うが、手話はとてもこれに近いものがある。

当初は言葉だと思っていたので、一つの言葉に対応する手話をひとつひとつ覚えようとしたが、以前にも書いたとおり、最初の頃に先生から手話は概念的なものだということを教えてもらって、英単語を覚えるように手話を覚えるという道は避けることができた。もし、英単語を覚えるように手話を覚えようとしていたら、ずいぶんつまらないものになっていたと思う。手話は言葉を超えている。言葉で表せない感情や雰囲気を表すことができる。それをくみ取れるか否かはその人の持っているアンテナ次第だ。

もうひとつ。口で言葉を話して意志を伝えあっている私たちは、手を動かすときの空間認識や表情にほとんど注意を払わないが、手話は表情と目の前の空間、それから手や体全体を使って自分の言いたいことを表現する。しかも、使う人によって同じ概念を違う動作で表現する場合も沢山あるので、これがまた、とても興味深い。体や顔の筋肉を良く動かすせいか、手話をしていると訳もなく気分が持ち上がってくる。

それから。言葉が私たちの頭の中でどんな風に形成されてゆくか、そういうことも手話を通して学んだ、とても興味深いこと。

手話講座とは別に手話サークルという、同好会みたいなものもあって、これにも先日参加した。ここはすでに基礎的な手話を学んだ人ばかりが手話で話す場所。そこにNさんという子どもの頃から耳の聞こえない方が参加していらっしゃった。この方の話がとても面白そうだし、表情も愉快そうなので、この方と話ができたらずいぶん楽しかろうと思って、またやる気が出てきた。

話の面白い人は何が何でも好き。
それから先生にも恵まれた。子どもの頃、好きな先生の授業だと嫌いな科目も楽しめた、というタイプだから。