田村正和という俳優:天は二物を与えることも、たまにある。

球形の荒野」という映画を観た。松本清張原作だったからと、キャスティングが良さそうだったから。

内容はサスペンスの形態をとりながらも、一人の人間の深い孤独と国家の冷酷さを描いたものだ。主演の田村正和は深い孤独をうちに秘めながら世界をさまよい続ける元外交官という設定だった。

この俳優は見栄えがいいという利点もさることながら、すばらしい演技力を持っていると改めて感じた。この映画ではたぶん三十代後半くらいの時代と定年を過ぎた時代の二つを演じている。初老の人を演じているときの彼が最初に画面に出てきたので、この人も年をとったなと思ったが、後半になって若い時代を演じているのを見て、初老の時代が巧みな演技であったことを知った。初老の時代では歩き方から、表情から、また単に立っているだけの姿から、すべてがその年代の人だった。

無言であるにもかかわらず、単に立っているだけで、その場の雰囲気を醸しだし、言葉を発する以上の効果を出すことができる人はごくわずかだ。画面から去ってゆく後ろ姿ももちろんのこと、手を抜かれていない。こんなことをこの種の卓越した俳優について言うのははばかられるが、カメラからはずれたとたんに自分自身になってしまう、というか演技を終えてしまう人はあまりに多い。そういうことは、本人が何も言っていなくても、そのたたずまいでわかってしまう。そうすると他のところの演技がよくてもすっかり興が冷める。

立っているだけで演技になる人は彼の他にロバート・レッドフォードがいる。グレート・ギャツビーという映画で、ギャツビーが自分の邸宅の屋上に立ち、一人遠くを眺める姿は大変印象に残っている。ギャツビーの底知れない孤独感が、ひしひしと伝わってくるのだ。

いつもは九時に寝るのだが、ちょっとだけ見てみようと思って見始めたこの映画を11時過ぎまで観てしまい、二日連続だということで、とうとう二日続けて観てしまった。こんなことは一年にそう何回もない。