私たちが孤児だったころ

私たちが孤児だったころ
カズオ・イシグロ
入江真佐子 訳

久しぶりに時間に余裕ができたので、じっくり本を読んでみたいという欲求に駆られる。純文学を読みたい。文学はやはり原語でなくてはと思い、日本の作家を探したがなかなか思うようなものに行き当たらず、以前からちょっと気になっていたカズオ・イシグロの本を読んでみた。

「日の名残り」という映画をご存じの方も多いと思う。何年も前に観て大変気に入って、あんな感性を持つ原作者の作品を読んでみたいと思っていたのだ。原作を読もうと思ったが、止めた。あの作品の良い印象を壊したくなかったからだ。

選んだのは「私たちが孤児だったころ」。元々英語で書かれた本なので翻訳が気になったが、そんなことを気にせず読める良い訳だった。あの映画の印象と同じく、文章の密度が高く、丁寧に書かれている感じだ。

本を楽しむには話自体のおもしろさということがあるが、もう一つ私が期待するのは文体から得られる楽しみだ。じっくり楽しむにはじっくり書かれた本でなければならない。私が好きな種類の本は、絵にたとえるなら印象派の絵のように、ごく微細な一筆一筆によって描かれた深みのある人物像のような作品だ。大胆な筆使いで強いインパクトを与えるタイプの絵ではなく。一つ一つの文章が緻密に構成されて、深い陰影を帯びた巧緻な完成品となる、そういうタイプの本。この本はまさにそんな種類の本の一冊だ。

映画でも本でもほんの冒頭の部分で最後まで面白く楽しめるかどうかが分かる。カズオ・イシグロの本は、最初のページで最後まで楽しめそうだと確信した。