安さの裏には

私は自宅で翻訳をしているため、いくつかの会社と契約している。翻訳会社もあればそうでない会社もある。仕事は多くがPDF文書で発注され、パソコンで翻訳して納品するというのが仕事の形態だ。ほとんどの場合発注書と共にテキスト文書が送付され、こちらでの作業は翻訳文書のベタ打ちである。ところがごくまれに(私の経験では一社だけだが)解像度のひどく悪い画像文書が送付され、こちらでテキスト化して、なおかつ書式も整えるよう要求されることがある。プルーフリーダーもおらず、納品先から問い合わせがあるとそれがそのまま私のところに転送されてくる。要は、仕事を受注した後は書類をあちらからこちらへ移動するだけを仕事としているのだ。そういう会社はおそらくひ孫受けくらいの下位に位置する会社で、ひたすら低賃金を売りにして営業している。悲しいかな、仕事がないときにはそういう仕事もしなければならない。すっかり打ち砕かれ、へこんで仕事をする。

さてそんな中、プリンタのインクを注文していてふと上のような怪しい会社のことが頭に浮かんだ。このごろはたとえ数百円のものであっても送料がかからない。こちらとしては助かるので利用しているのだが、その送料は一体誰が負担しているのか、いや知らず知らずのうちに負担させられているのか。企業が利益を上げている以上その利益は誰かが支出しなければならない。そんなことを思っていると、安い賃金で昼夜を問わず日本中を駆けめぐるトラック運転手の姿が思い浮かんで、私の姿と重なった。

湯浅誠の貧困に関する著書の多くに、「溜め」がないことについて書かれている。突然生活に困窮するはめになったとき、人には「溜め」のあるなしでその後の立ち上がりに差が出る。家族や友人など助けてくれる人的「溜め」がある人、多少の貯金という金銭的「溜め」がある人。こういった「溜め」がない人は、たとえ自尊心を打ち砕かれるような低賃金の仕事であっても、NOということができない。NOということができないので、「溜め」もできない。こういう悪循環に陥ってしまう。