ゼロから始める

数日前に偶然見た番組で、再生する森林の様子を撮ったドキュメンタリーをやっていた。外国の広大な森林が百年に一度の割で自然火災に遭い、一面焼け野原になるが、次の年には松や杉などが芽を出して、日をいっぱいに浴びてぐんぐん育ち、やがて森林は回復する。

焼け野原を見るとそこにあった岩までが熱によって崩落しているが、一年が巡ると新しい芽が宿っている。百年かかった森林はまたゼロから立ち上がる。今回はこのような大災害のあった後なのでこのような番組をいつもより感慨深く見た。

ライフラインをすべて断たれた中で、人は昔していたような暮らしを突然強いられる。そして時間だけが淡々と流れてゆく。そして少しずつ、少しずつ、暮らしが成り立ってゆく。人も自然界の一構成員だということを、こういうときに感じる。様々な電気製品に人の能力を分担させ、今やごはんを炊くことすらまともにできない、火をおこすこともできないという人が多いのではないか。寒いということがどういうことか、夏の暑さがどんな感じのものなのか忘れている人も多いかも知れない。人が生きてゆくための能力をすっかり電気製品にゆだね、安穏としている矢先に、それを根底から覆すような自然災害が起こって、すべてがリセットされる。

しばらく前に断舎利という言葉が流行った。この言葉の裏には執着を断つという考えがあるらしい。今、これまでの便利さに対する執着を断つことが求められているのかもしれない。

今回の災害では放射能漏れという人災が状況をさらに悪化させている。二酸化炭素を出さない、環境に良いといわれている原発だが、二酸化炭素よりももっと始末の悪い放射性物質が放出されるということが、今回よく分かったのではないだろうか。通常の運転を続けていても放射性廃棄物が出るため、これを地中深く埋めて処分しようということが考えられている。正常な運転をしていてもやはり危険なものが排出されるのだ。

原子力発電所が作り出す電力はほとんどが都市部で消費されている。つまり、都市部の便利さを提供するために、消費電力の少ない地方に原発が作られるのだ。この背景には都市、地方、政府、電力会社などなどの利害が複雑に絡み合っていて一概にどこに非があるのか断じることはできないと思うけれど、その利害関係に大きな歪みがあることは間違いない。

電気に大きく依存する私たちの暮らしを、根本から見直す良い機会だ。