安全基準の意味

先日子どもを対象として年間被曝量20ミリシーベルトを設定するのは言語道断であるとして、小佐古という参与が辞任した。この数字が一体どういうものなのか、私には皆目分からないが、この数値を設定した背景には、1ミリとか10ミリとかにすると、避難対象の児童の数が膨大になり現実的ではないという文部科学省の見解があったらしい。

先には、原発事故の処理に当たる作業員については、通常は年間100ミリシーベルトだがそんなことをいっていると作業が出来ないという理由から今回に限り250ミリシーベルトに引き上げられた。

更に、事故直後の野菜や空気、水などから検出された放射能の値が基準値の数百倍、数千倍という事実に対しても、「そもそも基準値が非常に低く設定されているので、問題ない、安全だ。」と繰り返された。

そうなると、基準値自体を私たちはどのような位置づけで捉えたらいいのか。危険性はまったく変わらないのに、その時の都合で安全だということにする、そんな風に理解できる。大いに疑問だ。

参与は11人いると思うが、他の人の意見はどうだったのか、それも報道されていないように思う。小佐古さんだけが高すぎるとしたのか、それに同調する人がある程度いたのか、そういう点もちゃんと報道してほしいと思う。今回は辞任ということに加え、小佐古さんが声を震わせて会見したので、そんなところのドラマ性だけが強調されていたように感じる。

本当のところはどうなの?そんな気持ち。