自然の治癒力



とても寒かったこの冬、ティーツリーはすっかり枯れたようだった。幹は表面が凍結したのか、ぼろぼろになり、いつもなら真冬でも枝の先端には小さい緑色の葉っぱがあったのに、今年は春暖かくなってもさっぱり芽が出ず、あせたような灰色がかった葉っぱばかりだった。これはもう枯れてしまったに違いないと思っていたら、つい最近になって枝の先端に若芽を発見。生き延びていたんだなぁ。このひとひらの若芽を出すまでに、相当のエネルギーを溜めていたんだ。元々この木はオーストラリアの湿地帯に自生している木なので、この地で何年も辛い日を送っているのかも知れない。庭仕事を始めた頃はいろんなものを植えたいと思って、珍しいものばかりを植えた時期があった。が、結局他の地に育つべきものはここには向かず、さっさと風に乗って帰って行った。それはそうだろう、私のわがままにあわせる義理はない。そのうちにわたしも、近くにあるものの美しさと、その植物の生態が好きになって、見れば見るほど山や里には多様な植物があふれており、またそのうちのいくつかは絶滅してゆくことがわかった。今はもうよその国の植物を勝手にここに植えようという木はすっかりなくなった。ティーツリーは、それでも我慢強くここで育ってくれていて、誰の卵だろうか、泡のような卵を産む昆虫か何かにさえもすみかを提供してくれている。この木はアボリジニーに薬草の木として様々に利用されており、私もその葉を摘んで煎じて、夏の化粧水として使っている。さわやかな匂いもして心地よい。



我が家のシンボルフラワーの野いばらも今や見頃となった。この花の蜜を目指して蜂がどこからかやって来てブンブンとかしましい。うちには他に百合もあるが、そっちの方には見向きもせず、この野いばらと牡丹にたくさんの蜂が群がっている。セージもあるがこれにも蜂はほとんど来ない。日本の蜂はやっぱり日本の花を好むのかな。こういう様を見ていると生態系というのがいかに重要かわかる。蜂や自生する植物、ここらにいる動植物は一つのシステムとして生態系をなしているのだ。どれが欠けてもその生態系はそれが欠けた分壊れ、循環が滞る。このあたりの生態系から外れるものは一人で生きてゆかねばならないので、放っておくと絶滅しやすい。私が植えたのは他の国で育ったものであっても野生種ということで概ね統一されているので、条件さえ合えばそれなりに育っている。それがせめてものなぐさめだ。