暮らしの技:機織り

機織り作業を見ることができたので、その様子をここに記す。
機織りは高齢のお婆さんが先生となって、その記憶を頼りに行われた。昔の暮らしの技術を残しておこうという試みの一環らしい。

糸は購入するが、その後、たて糸を機織り機に掛けることから、織りまでは自分たちで行う。この日は長いたて糸を途中で輪にして、その一部分を、機織り機の上側に掛けるものと、下側に掛けるものとに分けて、一本一本カザリ糸という糸で結んで固定するという作業が行われた。

カザリ掛けとその他の道具:これらの道具はそれぞれがごく単純な作りで、作業をしやすくするためのものだ。すべて自分で作ったもの。
機織り機
糸繰り車

一束の糸が二百本か、三百本か分からないがかなりな数で、これでやっと幅20センチの布が織れるらしい。その数百本の糸を一本一本、互い違いに上に掛けるものと下に掛けるものとに分けて互い違いにし、その糸を更に、一本一本カザリ糸というのを使ってカザリ掛けというYの字型の身幅より少し長い道具に固定してゆく。
作業はほとんど三人がかりで行ったが、昔の人はこれを一人で冬の農閑期に行った。

先生は生徒らが四苦八苦して糸を掛けている間にも、こうして数センチほどの余った糸を紡いで長い糸にしていた。今ならゴミとして捨ててしまうものだ。

カザリ掛けに糸を全部掛け終わって、カザリ掛けを引き抜いたところ。この日はこれをもう一つ作って終了するらしい。このテンポで行けば、布ができあがるのは秋頃ではないだろうか。

この日作業した糸の束は、機織り機の上段と下段に掛け、ペダルのようなもので上段と下段を交替させながら、そこへ横糸を巻いたシャトルを往復させて布を織ってゆく。このシャトルは本当の名前を何というか忘れてしまったが、シュッ、シュッという小気味のよい音を立てて上下の縦糸の間を往復する。子どもの頃、祖母が機を織っていたが、そのシュッ、カタ、シュッ、カタン、という音がとても好きだった。

さて、こんな風に縦糸を上と下に振り分けて固定するのに三時間を要した。もう一度この作業を繰り返すことになるので、丸一日の仕事ということになる。昔はこれほどまでに長い時間がかかることはなかったに違いないが、コンマ何ミリというごく細い糸を一本一本上にやったり下にやったり、くくりつけたりする作業は、今のように何でも効率よくサッサと作業をすることになれてしまったものにとっては、果てしもないような作業に思われる。祖母は繭から糸を繰り出していたが、糸を紡ぐ作業も入れると布を作るまでの時間の長さたるやとんでもないような気がするが、祖母たちは農作業の合間を見てこんな複雑な手仕事をしていたのだ。うちにも時計はあったが、時計で計る時間はそれほど大きな意味をなしていなかったように思う。文字盤はあくまで一応の目安のような存在で、時間ではなく「時」で表現していたように思う。「くろぅなったら」とか「よがあけたら」とか「ひるたべてから」とか。

人がこうも急ぐようになったのは、文字盤の付いた時計が発明されてからに違いないと私は確信しているが、自分で作った道具にすっかり使われてしまっているような気がしてならない。昭和初期まで暮らしの一部として行われていたこのような作業を見ていると、仕事の本質とは何か、暮らしとはどうあるべきかを考えてしまう。効率よく速くすることにあるのでは、少なくともないように思える。効率よくしようとすると一つ一つの動きをじっくり眺めたりそれに注意を払うことはなく、ただひたすら時間の経過と仕事の結果のみが頭を占領する。そういうことが繰り返されて、得られるものは現金と、それと引き替えに得る遊びだったり物だったりする。その遊びは最近、本人は遊んでいるつもりだろうが、本当の意味で遊んでいるのか、あるいはゲームやキャラクター人形に遊ばれているのかよく分からないようなものになってしまっている。金と引き替えに手に入れたものも、すぐ捨てる。仕事も遊びも追い立てられるようにして行う暮らしを続けて、年をとって振り返ってみたらうつろな物しか見えてこない、という話は定年を迎えた猛烈社員の口からよく出る言葉だ。日々の生活が、現実から上滑りしていた状態だ。

この機織り作業のような、時計のデジタル表示をあざ笑うような仕事を私は初めてつぶさに見る機会を得たが、技術そのもの意外の事々にも考えが及んでしまった。それくらいに示唆に富むもの、ということだと思う。