日本の原発開発および技術に関する1つの情報

迷走・原発事故対応、日の丸技術の限界
2011/6/27 7:00

戦後の原子力開発は政治主導でスタートした。始まりは中曽根康弘氏(元首相)ら超党派議員が54年3月に提案した2億3500万円の原子力予算だ。

 政府は海外からの原子炉導入を決定。官民共同出資の日本原子力発電が初の商業炉を建設することになり、原子力は民主導で推進する大方針が決まった。政治が蹴り出したボールを電力業界が受けてゴールを目指す。このとき原子力の技術開発や安全監視を担当する専門家は事実上いなかった。

 国内初の原子炉技術は電力会社とメーカーの技術者らが手探りで導入した。原子炉の安全審査などは行政が米国の審査資料を邦訳して見よう見まねで取り組んだ。米ゼネラル・エレクトリック(GE)製の原子炉を丸ごと買った福島第1原発1号機(67年着工)はそうやってつくられた原子炉だ。

 当時、安全審査などにかかわったのは、物理や電気、機械など異分野の学者だ。学界では当初、海外からの技術導入に批判的な意見が強かったという。

月刊誌「科学」54年5月号に載った朝永振一郎氏(当時東京教育大教授、のちにノーベル物理学賞受賞)の発言はその典型だ。「外国の秘密のデータを教わって、物もついでにもらってやれば早道かもしれませんが、それは限られた範囲のなかでの早道で、日本全体の進歩というのではない」

■原子力は軍事技術と一体

 そして、原発事故は起きた。今、日本の原子力技術が問われているのは朝永氏の懸念を跳ね返し、外来の技術を自らの血肉に変えることができたかどうかだ。

 原子力に限らず、日本の多くの産業は海外からの技術導入で基盤を築いてきた。ただ自動車や電子機器などの産業技術と決定的に違うのは、原子力の根っこが軍事技術と一体である点だ。米国は79年のスリーマイル島原発事故以来、30年近く原発を新規建設していないが、その間も原子力潜水艦や核兵器の研究開発を続け、厚い人材層を形づくってきた。それが約3000人の技術者を抱えるNRCの底力につながる。

一方、日本では旧ソ連チェルノブイリ原発事故を機に、原子力分野への進学者が減った。東京大学原子力工学科も93年に世間の空気を読んで「システム量子工学科」と名を変えた。多くの大学で原子力工学科を廃して改名する「原子力隠し」が進んだ。

 日本政府は保安院の傘下に約400人の陣容を備える独立行政法人原子力安全基盤機構を発足させたが、高度な技術を取り扱う能力が足りない。専門家は「核兵器研究の過程で放射能汚染への対処法を経験した米仏などとクリーンな温室育ちの日本では事故時の腰の座り方が違う」と指摘する。

 日本の原子力技術や原発事故対応が立ち遅れた理由はそれだけではない。

■原子力ムラのもう1人の住人

 原子力を推進する「原子力ムラ」は既得権益を分かち合う政治家、官僚、電力会社の「鉄の三角形」が中核を成すが、それを支えるもう一人の住人が学界。原子力技術を指導し、安全性にお墨付きを与える学者たちだ。安全な原子力行政の要となる学界もまた、原子力を推進する政官財の閉ざされた「原子力ムラ」に取り込まれ、独立して技術開発や安全監視に当たる本来の機能がマヒしていた。たとえ危機感を抱いても、国策の妨げになるような発言を避ける風潮がまん延した。

(中略)内向きな風土を招いた一因は人材の偏りに見いだせる。
現在の日本の原子力行政は、「推進機関」である経産省資源エネルギー庁と内閣府原子力委員会、「安全規制機関」である経産省保安院と内閣府原子力安全委員会の両輪構造になっている。原子力委では5人の委員のうち、近藤駿介委員長(1965年卒)、鈴木達治郎委員長代理(75年卒)、尾本彰委員(72年卒、非常勤)の3人が東大出身者。学科も原子力工学科と同じだ。一方、規制側の原子力安全委は班目春樹委員長が民間企業を経て東大の原子力工学科の教授に就任している。班目氏の前任の鈴木篤之・日本原子力研究開発機構理事長も原子力工学科出身(66年卒)。「涙の抗議会見」で内閣官房参与を辞任した小佐古敏荘・東大教授も同じ(72年卒)だ。

しかも東大原子力工学科は、「原子力ムラ」の長老格ではない。学科の開設は1960年。既に政府は原子力委を設置し、原子力研究所を発足させていた。電力業界も海外からの原発導入へと突き進んでいた。ただ原子力を推進していくためには、技術・安全面の裏付けが必要。政官財が原子力ムラの中に「学」を取り込んでいった構図が浮かぶ。

IAEAの「警鐘」
国際原子力機関IAEA)の閣僚会議でも、原子力ムラの癒着が問題になった。福島原発事故の調査団長を務めたウェイトマン博士は6月21日の記者会見で「改善への熱意が原子力安全の基盤だ」と述べ、日本の電力会社や規制当局に手抜かりがあったと暗に指摘した。原発建設時よりも大きな津波が起き得る可能性を指摘されていたのに、なぜ対策をより厚くしなかったのか――。

 新しい事実を知っても国策の妨げになることは軽々しく口にすべきではないという「空気を読む」姿勢が原子力ムラの技術エリートの中にあったのはおそらく間違いない。ムラでの地位を確かにするには、なるべく波風を立てない方がいい。安全よりもムラの秩序優先が事故の背景にあり、その自覚すら関係者にはなかったのかもしれない。

迷走・原発事故対応、日の丸技術の限界
http://www.nikkei.com/biz/focus/article/g=96958A9C93819499E3E5E2E1998DE0E6E2E4E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;df=4;p=9694E3E4E3E0E0E2E2EBE0E0E4E3