草間彌生

草間彌生のドキュメンタリーを観た。

草間といえば水玉模様で有名だそうだが、すでに幼少の頃から水玉を描いていたらしい。現代美術は私にとって遠い世界で何一つ理解も感動も出来ないが、草間の人生には考えさせるものがあった。現在確か82歳だそうだが、毎日毎日旺盛な創作活動をしている。

その模様をインタビューと共に写していたが、話す様子は小学生のようだ。若いころ米国で前衛的な創作活動をして帰国した際に、国内では全く理解が得られず、週刊誌などで手ひどいバッシングを受け、そのあたりで精神的に打撃を受けたという。自ら精神病院に入院して、以後その病院で活動している。本人は強迫神経症との診断を受けたと言っていた。

話す言葉はややぎこちなく、絵を描くその動作は型にはまらず、慎重さもない。人の背丈よりもかなり大きい絵を描いていたが、どんなものができあがるのか自分でも全く分からないといっていた。ただひたすらキャンバスに向かって絵の具を塗ってゆく。点だったり、丸だったり、目だったり、そのほか私には全く理解できないものだったり。ある絵では真ん中に空間が出来たのを見て、助手に「ここ淋しいから埋めようか」などと意見を求めていた。助手の方はさすが、大画家のアシスタントだけあって、草間の意図にいかなる意味でも介入しないように、またその意欲を削ぐことのないように、うまく対応していた。テクニックという意味からはむしろこちらの方にそれを感じる。「埋めますか、先生」と助手が答えると、草間はすぐさま赤い丸でその空間を埋めた。その絵は丸と短いみみずみたいなものと目と点と草みたいなものとそのほかなんだか分からないもので埋め尽くされたものに仕上がった。ろくに休憩も取らず、ほんの数時間の作業だった。

今も維持し続けるデザインをすでに小さい頃から描き始めたこと、考えもなく、ほとんど本能ではないかと思えるようにつぎつぎと間髪を置かず筆を運んでいる様子、計画性がないこと、などなどを画面で見ていると、この人は自分の意志とは関係ない何かに突き動かされて、それに引きずられるようにして活動してきた、生きてきたのだ、と思わせる。それこそが芸術というものの正体なんだと思う。その芸術を私は理解できないが、彼女の作品は高く評価されており、億単位の値段で取り引きされるという。値段が常にその価値を表すとも思えないけれど、一つの指標にはなる。少なくとも作品を多くの人が欲しいと思っているのだ。しかし本人にとっては金銭はあまり意味がない。そのような利益とは全く離れたところで生きている。本人にとっては今日この日を、生きるか死ぬかの瀬戸際で暮らしている。ものすごく辛い人生なのではなかろうか。草間は、絵を描いていないと自殺しそうになるし、これまで何度も自殺未遂をした、と言っていた。そのくらい、彼女にとっては命がけのものなのだ。このあたりまで観て、世俗的な欲望からは縁遠いのだろうと思っていたら、「世界一になりたいの、宇宙で一番になりたいの」と熱のこもった調子で言っていた。これが強迫神経症となっているのだろうか。

そういう人だから、日常生活を一人で営むことができないのではないか。食事をするところも写していたが、「今日は何にしましょう、先生」「うん、そうね、おにぎり二つと、おでん」「はい、いつものですね。」という会話だった。人間は遺伝子の単なる乗り物に過ぎない、ということをいったリチャード・ドーキンスの言葉を思い出す。

草間彌生

10歳の頃より水玉と網模様をモチーフに絵を描き始め、水彩、パステル、油彩などを使った幻想的な絵画を制作。
1957年渡米、巨大な平面作品、ソフトスカルプチャー、鏡や電飾を使った環境彫刻を発表する。1960年代後半にはボディ・ペインティング、ファッション・ショー、反戦運動など多数のハプニングを行う。また映画製作や新聞の発行などメディアを使った表現にも着手。1968年自作自演の映画「草間の自己消滅」は第4回ベルギー国際短編映画祭に入賞、アン・アーバー映画祭で銀賞、第2回メリーランド映画祭にて受賞。ヨーロッパ各国でも展覧会、ハプニングを行う。
1973年帰国、美術作品の制作発表を続けながら、小説、詩集も多数発表。1983年小説「クリストファー男娼窟」で第10回野性時代新人賞を受賞。
1986年フランスのカレー市美術館、ドール美術館にて個展。1989年ニューヨーク国際芸術センター、イギリスオックスフォード美術館にて個展。1993年第45回ベニス・ビエンナーレに参加。
1994年より野外彫刻を手がける。福岡健康センター、福岡美術館、ベネッセ・アイランド直島文化村、霧島アートの森、松本市美術館、松代駅前(新潟)、TGV リール駅前(フランス)、ビバリー・ガーデンズ・パーク(ビバリーヒルズ)、平和公園(安養市、韓国)に野外彫刻を、リスボンの地下鉄通路に壁画を制作。
1996年からは主にニューヨークのギャラリーを中心に活動を始め、国際美術評論家連盟よりベストギャラリー賞1995/96、ベストギャラリー賞1996/97を受ける。
1998年から1999年にかけてロスアンゼルス・カウンティ・ミュージアムを皮切りに大回顧展がニューヨーク近代美術館、ウォーカーアートセンター、東京都現代美術館を巡回。
2000年、第50回芸術選奨文部大臣賞、外務大臣表彰を受賞。同年、フランス、コンソルシウムで始まった個展は、パリ日本文化会館、オーデンセ美術館(デンマーク)、レザバトア美術館(トゥールーズ)、クンストハーレーウイーン、アートソンジュ・センター(ソウル)、アートソンジュ・ミュージアム(慶州)を巡回。
2001年、朝日賞受賞。
2002年 松本市美術館開館記念個展、紺綬褒章授賞。
2003年、フランス芸術文化勲章オフィシェ受勲、長野県知事表彰(芸術文化功労)受賞。
2004年、森美術館個展「クサマトリックス」(森美術館)は52万人を動員。同年、東京国立近代美術館より始まった個展が京都国立近代美術館広島市現代美術館、熊本市現代美術館、松本市美術館を巡回。
2006年、ライフタイム アチーブメント賞(芸術部門)、旭日小綬賞、高松宮殿下記念世界文化賞(第18回)絵画部門 受賞

2008年、ドキュメンタリー映画(ニアイコール) シリーズ第5弾「草間彌生 わたし大好き」公開。http://www.yayoi-kusama.jp/j/biography/index.html