関孫六太鼓

和太鼓を聞きに行って来た。

和太鼓は以前に伊勢で、神音太鼓というグループの演奏を聴いたのが初めてだが、いたく感動した。太鼓といえば音階はなく、単にリズムだけで演奏するもので、それまでテレビなどで披露された和太鼓にはさして興味は惹かれななかったが、伊勢の「おかげ横丁」にいった時にたまたま通りで演奏していたのを聞いてすっかり考えを新たにした。太鼓を打つその振動が聞いている私達の胸に響いてきて、否応なく気分が盛り上がってくる。目の前で演奏している人たちの腕の筋肉の盛り上がりや表情や、時に強烈な印象を与えるそのリズムなどが相まって、心の中にむくむくと盛り上がる気分を感じた。

和太鼓の演奏と一口に言っても、踊りやメロディーを組み合わせたものから、弓などの小道具を使った舞を見せるものなどいろいろある。グループの規模が大きくなればなるほど、パフォーマンスは華やかに、また多様になるように感じる。

さて、私が観た関孫六太鼓の演奏会は据え置きの太鼓を使ったものだけで、踊りもメロディもなく、単に太鼓のリズムだけを披露していた。それなのに、それだけとは思えないような感動を受けたが、それは一体どこから来るのだろう。演奏の中に、長良川の流れをイメージしたものであろうか、横一列に並べた六つほどの太鼓を、六人の奏者が順に太鼓を移動しながら流れるように打ってゆくというのがあった。この演奏は見た目にも訴えるところが大いにあり、すばらしかった。

演奏が終わってからも、なぜこんな風に感動するのか分からない。旋律があるわけでも、華やかなパフォーマンスがあるわけでも、色が使われているわけでもない。感動の源はあの太鼓のリズムだけだ。実際に胸に響いてくる音の振動、これも大きく影響する。その場にいるということが結構大きい要素かも知れない。

太鼓は縄文の昔にすでにその原型があったとされ、天の岩戸では天照大神に出てきてもらうために桶を叩いて踊ったという神話もある。元々神がかったものだったせいで直感に訴えるものがあるのか。理屈無しに、駆り立てられるような感動を味わったのだった。

帰ってから和太鼓の演奏が他にもないかとネットで検索するといくつか出てきたが、いずれも華やかなショーとして作られているパフォーマンスだった。太鼓を打つ技術の優劣は私には分からないが、孫六太鼓のように太鼓のリズムだけで構成されているものの方が私は好きだということが分かった。

孫六太鼓保存会 http://loco.yahoo.co.jp/place/2aed87d1c0fea68fbeaff95900e850cc56ac97cc/

この演奏会には、私にだけうれしいおまけがついていた。あんまり感動したので、代表者らしい青年に話を聞こうと、演奏を見終わってから近づいていったら、この青年が、もう二十年ほども前に私が仕事をしていた小学校の卒業生だったのだ。当時私は小学校の図書のおばさんをしていたのだが、彼は図書室によく本を借りに来て話をしていった。明るくて気さくで、人に優しいだろうという印象を与える子だった。その後何年もして彼が高校生の時、私は市民プールで彼に再会して、美しいクロールを教わったのだ。

栴檀は双葉より芳し。彼が代表者かどうかは知らないが、小学校の頃すでに、将来何らかの形で人の世話をする立場になるであろう小さな芽があった。