子供政策への要望

子供は社会で育てるべきだ、ということが最近よく言われる。女性の労働力を期待してのことだ。その対策として託児機能の充実ということが頻繁にいわれる。しかし、私は託児施設を拡充するよりも、親自身がこどもを育てる時間が十分取れるように、例えば子供が小学校卒業するまでは半日勤務を許可するとかいうように、労働形態を調整することのほうが望ましいと思う。

キャリアを捨てたくない、あるいは経済的な理由から働かざるをえない、という親の都合から、今、どんどん子供の行き場がなくなっている。身近なところでも、学童保育というシステムや「夏休みのこどもの居場所つくり」といった地方独自の対策が実行されている。

女の社会進出自体は望ましいことだと思うけれど、子供が行き場をなくすこの状況は決して望ましいものではない。自分のこどもはやはり自分で育てたほうが、子供の為に、ひいては社会のために、良い。

その理由のひとつは、小学校までの子供は生活の様々な場面で躾が必要だと思うからだ。基本的な生活習慣を始め、箸の持ち方から、社会的にしても良いこと、悪いことの区別、危険性に対する認識などは、こどもと一緒に過ごす時間の中で、その場その場で教えなければ伝わらない。

そういうことが保育園や幼稚園で行き届くだろうか、疑問に思う。このような施設では一人の保育者が何人ものこどもの世話をしなければならないし、施設の中で時間を過ごすために、教える場面は限られたものになる。

躾は週末に親がすればよいという意見があるかもしれないが、これは時間的に限られたものになるし、せっかく週末に一緒にいるのだから子供にいろいろ言いたくない、子供の機嫌を損じるようなことは言いたくない、と親が思ったとしても不思議ではない。実際、この言葉はかつての職場の若いお母さんが言った言葉だ。彼女は1歳から子供を預けて働いていたが、「普段こどもの面倒を見ていないので、週末に一緒にいるとストレスが溜まる、週末の2日を一緒に楽しく過ごしてあとの5日を保育園に預けるくらいがちょうどいい、」と言っていた。こどもと一緒にいるのは確かにストレスが溜まる。それを避けているとますます一緒にいるときに溜まるストレスが多くなる。悪循環だ。

もうひとつの理由は子供の精神的安定の確保だ。「お母さん」とか「お父さん」とか子供が呼んだ時、すぐ答えてやれば子供は安心する。この精神的な安心感が将来の子供の心の安定につながるということは、多くの研究で明らかにされているところだ。

小さい頃にこの心の安定を確保しておけば、おとなになって困難に遭遇してもそれに立ち向かう気持ちが湧きやすく、また、腹がたつようなことがあっても自分を制御できるようになる。

学級崩壊とか、すぐキレるということが言われるようになってもう何年にもなる。ゲームのし過ぎやテレビの見過ぎなど、原因は複雑に絡み合っているだろうが、そのひとつに子供の心の不安定もあげられるのではないかと思う。いずれ、ゲームをする時間やTVを見る時間の制御も親の責任の一つだ。

自分の子は自分で育てたいと思っている親が、そうできるような制度を是非作ってもらいたいと思う。また、そうできるくらいの社会の余裕があればと思う。