立ち上がる

先日偶然に、大阪の橋下知事の出自に関する本人のツイートを発見した。そして、橋下さんの「今」の背景には大変な逆境とものすごい努力があったであろうことが想像された。

しばらく前から、頑張らない生き方や、楽しくなければ勉強じゃない、という言葉に代表されるように、必至に努力することがあたかもつまらないことであるかのような風潮がある。先の地震でそれもいったん収まっているかも知れないが、それでも、病気でもないのに学校にも行かず、仕事もしない人が増えている。

若い頃、小学校の図書館で仕事をしていた。その頃からだんだん不登校の子が増えてきたのだろうか、その学校にも親が付き添って不登校の子どもが来ていた。授業には出ず、好きなようにしていたが、よく図書館に来て、本を読むでもなくぶらぶらしていた。かと思うとぷいと外へ出ていってしまう。話しかけるとごく普通の子どもだった。お母さんとも話す機会があったが、「自由奔放に育てたのがいけなかったかしら?」とおっしゃっていた。

このお母さんと子供を見ていて、これはひょっとしてしつけの問題ではないかと感じた。自由奔放というと聞こえはいいが、要はしつけがなされていないのではないか。子供は小さい頃からしていいことと、してはいけないことを教えなければならない。そして、日常の様々な側面を捉えて、嫌なことをしなければならないときもある、ということも教えなければならない。

私達が子供の頃は、周囲で家族が忙しく働いていたので、そういう社会性は暮らしの中で自然に学んだが、今はそういう機会は少なくなっている。家事自体が自動化されているし、親がこどもと過ごす時間は年々少なくなっている。

しつけは、絶えず子供に近いところにいて、ここぞという機会を捉える必要がある。あとからまとめて言っても小さい子供には伝わらない。そういう日々のちょっとした声かけでしつけというのはなされるものだと思う。どこかで習ったりするものではない。日々の小さい選択の積み重ねが、人生の方向を決めるようなものだ。

そうして少しずつ、人は社会のルールを守ることが必要であり、人生には努力や我慢がつきものだということを教える。

親の躾と同じくらい有効だと思うのはロール・モデルだ。真剣に生きた人の話を物語や伝記で読ませる。いわゆる名作文学といわれる範疇に入るものの中になら、子供に与えるロール・モデルは事欠かない。子供にとっての「当たり前」の基準をこうして設定してしまうのだ。そうすれば、親ができない教育を、文学が代わりにしてくれる。振り返ってみると、私自身も文学によって価値観を培った部分は大きいと思う。

病気でないのに、働かない、学ばない人たちが増える背景には、それを許している環境が必ずある。自然環境も劣化しているが、子供が育ってゆく環境も、私にはだんだん劣化しているように見える。

さて、橋本さんのツイートだが、転載しようかどうしようか迷った末、することにした。氏の主張はしかし、上の教育のこととは無関係であり、週刊誌に突然暴露されたらしい記事について、誤解を解くためになされたツイートである。ツイートされたということはみんなに知ってもらいたいと思われたのだろうから、引用した。また、このツイートを読んで、元気が出てくる人もいるのではないか、という思いもあった。

以下、転載。

問い合わせが多いので一連の週刊誌報道についてコメントします。実父とその弟(伯父)がやんちゃくれで実父が最後に自殺したのは事実。僕が小学校2年の時。物心ついたころには実父は家にいなかったのでほとんど記憶なし。

食事中僕が箸を放り投げて実父に背負い投げされたこと、下の駐車場から「徹〜」とだみ声で呼ばれたこと、通夜のときに顔を触らされて冷たく固かったくらいの記憶しかない。ガス管咥えての自殺は僕が成人近くになってから周囲から知らされた。暴力団に正式に入っていたかどうかは知らない。

実父と叔父が、それでもむちゃくちゃやんちゃくれで、暴力団関係者であったことは周囲の話からは聞いた。同和地区に住んでいたことも事実。伯父の愛人に子どもいて(僕の従兄)、犯罪を犯したことは事実。この従兄とは僕が幼少のころ伯父に会わされたらしいが僕の記憶になし。

僕が弁護士になってから伯父とこの従兄と会ったことがある。犯罪事実については今回の週刊誌で詳細に知った。ここまでが事実で、後は知らん。伯父が言うこと、僕の周囲が言うこと、僕に対する評価は色々あるでしょう。僕は公人だから何を言われてもある意味しょうがない立場。

ただ伯父は僕に対して恨みを抱いていると思う。週刊誌に出ている自分の子ども(僕の従兄)の面倒を見て欲しいと、僕が知事になる前に僕に相談があったが、僕が断った。僕には現在、母の再婚の父がいるので、実父方の親戚筋との付き合いを疎遠にした。そして伯父は府内の首長選のいくつかに関与した。

その際、僕や大阪維新の会に応援依頼をしてきたが、全て断った。先日の東大阪市長選挙においては落選した候補者を2年がかりで応援していたようだ。この従兄も秘書になって。伯父等から親戚筋を通してうちの妻に面会依頼があったが全て断った。そしてその候補者は落選。伯父は僕に恨みを抱いているはず

母が再婚する前、幼少時代には伯父を始め実父方の親戚筋のところに泊ったことも多かったし、お世話にもなった。しかし、僕が中一の頃、母が再婚してからは親せき付き合いが疎遠になった。もちろん完全に切れていたわけではない。伯父から知事就任時に当選祝いももらった

しかし僕を育ててくれたのは、母親であり現在の父親である。伯父に小遣いやお年玉の類を除いて生活の経済的援助をしてもらったことは一切ない。僕の大学進学費用、妹の海外留学費用も全て現在の父のおかげである。僕は学生時代真面目な学生でなかったことは認める。

先生の中にも僕のことを嫌っていた人はいっぱいいただろう。また僕が最初に勤めた法律事務所のボス弁は僕のことを大嫌いである。弁護士の多くは僕のことを嫌いだし。人が人を評価するには色々ある。そういう人は事実を離れて話すだろう。公人という立場である以上、そこは気にしない。

僕自身、実父が正式な暴力団員であったこと、従兄が人の命にかかわる重大な犯罪事実を犯したことは週刊誌報道で初めて知った。実父の出自も今回の週刊誌報道で初めて知った。僕は成人だから良い。しかし僕には子供がいる。思春期多感の子供だ。子供は、事実を初めて知った。

週刊誌の見出しがここまで躍ると、子供の友達の親も皆知ることになっているだろう。妹も初めてこの事実を知った。妹の夫、その親族も初めて知った。妻やその親族も初めて知った。子供に申し訳ない。妹夫妻、妻、義理の両親親族、皆に迷惑をかけた。メディアによる権力チェックはここまで許されるのか。

週刊誌の見出しがここまで躍ると、子供の友達の親も皆知ることになっているだろう。妹も初めてこの事実を知った。妹の夫、その親族も初めて知った。妻やその親族も初めて知った。子供に申し訳ない。妹夫妻、妻、義理の両親親族、皆に迷惑をかけた。メディアによる権力チェックはここまで許されるのか。

子供は親を選べない。どのような親であろうと、自分の出自がどうであろうと人はそれを乗り越えていかざるを得ない。僕の子供も、不幸極まりない。中学の子供二人には、先日話した。子供は、関係ないやん!と言ってくれたが、その方が辛い。文句を言ってくれた方が楽だった。

僕は暴力団との付き合いは一切ない。特定団体への補助金を優遇したことは一切ない。以前の同和事業に相当する補助金については、僕が知事に就任してから厳しく見直した。週刊誌は9億円しか削減していないと報じていたが、9億円も削減したのは僕になってからである。お金以外のところも厳しく見直した

僕はメディアによる権力チェックは最大限尊重する。メディアによるチェックこそが民主社会の根底である。その方針でメディアに対して対応してきた。もちろん反論するべきところは徹底して反論する。しかし、権力チェックは万能の権利なのだろうか。

報道による権力チェックは民主主義の根幹。しかし公人と言えども人間だ。公人に人間の権利は一切ないのか。公人本人はどうでも良い。自分で選んだ道だから。では公人の家族はどうなんだ?公人の家族も一定の負担をしなければならないだろう。しかし人間としての最低限の権利は保障されるべきだ。

親と子供は別だ。日本社会の、人権尊重、子供の尊重というフレーズはど絵空事か。親が公人でも、子供の権利は最大限尊重され、配慮されるべきだ。権力チェックに必要な、選挙にとって必要な情報はどんどん有権者に開示されるべき。しかし無制限ではないだろう。


このようなことをメディアがやるから人権救済機関の話が出てくる。メディアは権力が報道に干渉するなという。そうであれば、言論機関同士できっちりと議論を詰めて一定のルールを確立して欲しい。公人報道について。本人や成人の家族はある程度やむを得ない。しかし子供は別だと思う。