放射能への不安の正体

今日も議会があったので傍聴に行ったら、議員の質問の中に地元の放射能測定値に関する質問があった。近隣の市では0.06とか0.07マイクロシーベルト/hであるのに対し、関市は0.1と発表してきたが、高いのではないか、という質問に対して、関市の測定器では0.1未満は測定不能であるとの回答。これに対してこの議員は関市の使用している測定器に疑問を投げかけて、不安である旨を表明していた。

コンマ1以下の測定値まで云々するこの議員は、世間の一部の人々を代表している。福島産の花火の打ち上げや福島の松を大文字焼きに使うことに反対してメールを送った人たち、そしてごくごく一部のこのような反対意見にあっさりと前言を翻した首長たち。

私たちは日常普通に放射線を浴びている。一つの数値として大気から1.5ミリシーベルト、宇宙から0.38ミリシーベルトなどがある。レントゲン検査を受ければ、胸部レントゲンで0.1ミリシーベルト、胃部で15ミリシーベルトと、ミリシーベルト単位になる。検査のための撮影より、診断のための撮影は線量が多いらしい。

1マイクロシーベルトは1ミリシーベルトの千分の一だ。そういうことから考えると0.1マイクロシーベルト/h以下を云々すれば、健康診断も安心してできないということになる。0.06マイクロシーベルトが計測できないといって不安を感じるのは、単に知識が足りないからとしか思えない。

健康診断などでレントゲン検査を毎年受ける人は多い。CTでも最近では受ける人が多くなってきた。CT検査での被曝量は20〜50ミリシーベルトといわれる(撮影範囲による違いと思われる)。このような検査を受けて発病するようなら、検査自体が行われないに違いない。ラジウム温泉なども微量の放射線が出るらしいが、健康によいという理由でわざわざ入浴する人は多い。

放射腺を受けないに越したことはないと思うけれど、用心するにもその程度というものは考える必要がある。

レントゲンなどから受ける被曝量に関する資料
http://www.tanakageka.com/lecture/xray/index.html
http://sandakan.org/kikyou/xray.html
http://shimonagaya.com/radiation.htm
など。資料により多少の変動があるが、少なくとも単位を別にするほどの違いはない。

別の議員が、東京都の例を挙げて、宮城と岩手の瓦礫(東京都が受け入れた瓦礫の線量は都の独自計測でコンマ1未満だったように覚えている)を受け入れるべきだとの意見を述べたが、これに対する市側の回答は、東京と関では人口も面積も違うので同じに考えることはできない、市民の不安がある、などとして否定的な見解であった。狭いなら狭いなりに、少し受け入れることはできないのだろうか。市民の不安が、というが、何でも現状に甘んじていてはことは前に進まない。

風評被害やこのような受け入れ拒否の現実を知るたびに、私が福島に住んでいたらどう感じるだろうと、いつも思う。

汚染地域に住んでいる人がみんなどこか線量の少ない地域に移住するか、画期的な他の方法があればそれに越したことはないけれど、今のところそれは期待できない。物理的に復興を妨げており、域内では処理できないほどの瓦礫を前にして、誰も助けてくれる人がいないことがわかったら、どんな気持ちがするかしら。

瓦礫の受け入れは物理的な援助となるばかりか、たとえ少しでも受け入れてもらえたら、見捨てられていないんだなとわかって、心の支えにもなる。元気も湧いてくる。これについて個人的に何かできないだろうか。焼却灰を1キロとか2キロとか、受け入れてくれる人に配る、というのは非現実的かな。できることなら、私の庭に埋めてもいいと思っているのだけど。