吉村昭 「冷たい夏、暑い夏」

これは肺がんに侵された著者の弟の闘病生活と周囲の心情を綴った作品です。

ある日、弟が肺がんであることを医師から告げられた著者は、弟にそれを告げず、周囲の者にもそれを徹底し、癌の治療をすることなく自然に死を迎えさせることを決心するのです。ひとつ嘘をつくと、どんどんその上塗りをしなければならない辛さがよく綴られています。

私はこれを読んで母を思い出しました。母もある日突然ふとしたことからすい臓がんが発覚し、あと半年ですと医師に言われました。医師は、治療するかしないかの選択を私たちに任せ、治療する場合は抗がん剤の投与で苦しい思いをすることなど、詳しい説明をしてくれました。私たちは、どうせ治癒しないなら、辛い治療を避けてあと半年を自分の家で普通に暮らしてもらおうと決めました。そして、母の性格を慮って本人には告げませんでした。

振り返ってみて、医師が詳細な情報を丁寧に家族に説明した上で、家族に選択させてくれたことに対して、とても嬉しく思うと同時に、あの選択は正しかったと思いました。

しかし、本人に告げなかったというのは、少し迷う所があります。診断が出たときはとても元気だったので、その時点で告げないのは正しかったと思うけれど、病が重くなるにつれて本人も、変だ、と思い始めるのです。癌だろうか、いやそうじゃないかもしれない、、、本人は悶々とするのですが、これは大変つらい状況だと思います。これは誰も同じでしょう。周囲からは治る、治ると言われるのに、どんどん具合が悪くなることが自覚されるので、おかしいと思うのは自然です。最後にはやっぱり気がついたようでした。

さて自分はというと、私は診断がおりた時点ですぐ知りたいと思います。そして死ぬまでにしたいことをして、覚悟を決めてから死にたい。入院はできるだけ短くして、入院しても、人工栄養や機械呼吸などは避けたい。こんな風にうまくいくかどうかは甚だ心もとないのですが、私の理想です。

自然に死ぬということが、医学的な技術が発達するにつれて、皮肉にも難しくなっています。このごろでは死自体さえ、生との境界が曖昧になってきて、こんなことまで人が決断しなければならないことになりました。

死ぬことについて考えるたびに思い出すのは西行と親鸞です。

西行は死期が来たら桜の花の散るころに死ぬと宣言して、それに合わせるように食事を絶って思いどおりに死にました。並の人間ではこんなふうにはいかないにしても、せめて人工的にいつまでも生かされるようなことだけは、避けたいと思います。

親鸞は、自分が死んだら川に流して魚の餌にしてくれと言ったそうですが、私も「土よりいづる者は、土に帰すべし」というのが信条ですから、墓なぞは作らず、私の灰を庭に撒いて野菜の肥やしにでもして欲しいと思います。