中学高校で学んだ英語、どうやったら話せるようになるの? その3 養成所終了後

今日は通訳の資格をとってからのことをお話ししてみようと思います。

いきなりお金をもらって仕事をする自信がなかったので、まずはボランティアで現場の経験を積もうと思い、関市周辺の国際交流協会にボランティア登録をしました。当時はバブルの残りがまだあって、各地で国際交流活動が盛んでしたし、投資誘致のパーティなども時々行われていました。このような機会に現場をたくさん経験したのですが、やはり現場にまさる教師はいないと実感したのがこの頃です。

例えば米国ユタ州の学校と日本の中学生の交流会のような場合。仕事を依頼されて最初にするのは下調べです。米国とユタ州の経済状況、地理、人口、習慣等々、そして日本の側についても同じ事、話題にのぼる可能性のあることはすべてあらゆる文献を使って調べます。スピーチの大まかな議題があらかじめわかっている場合は、それに基づいて詳しく関連事項を調べます。スピーチをする人がわかっていれば、その人の年齢や過去に行ったスピーチの内容なども、とにかく調べられる限りのことは調べ、それに対応する英語も書きだして覚えました。このようにすることは養成所で習いました。

養成所に行くまでは学生と会社員と主婦の経験しかありませんでしたから、このような場面は生まれて初めてで、最初はすっかり戸惑いましたが、経験を積む中で慣れてきました。中学校同士の交流会ではスピーチをするのが中学生であることも時々あって、何を言っているのか全く分からないことも一度ありました。子供の方もスピーチに慣れていないので、声も小さく言葉もはっきりせず、すっかり閉口して、付き添いの先生に聞いたこともありました。そこは無料奉仕だということで、こんなことも許されるのです。

このボランティア時代では登山会の交流会、財団の視察、特定企業や教師の交流会、工場見学等々、様々な分野の会合を経験することが出来ました。こういう中で、通訳の仕事とは関係なく、どんな立場にあったらどのように振る舞うべきか、というようなことも学びました。人間関係を築くことの大切さを学んだのもこの時代でした。仕事で出会った人から有料の仕事をもらうようにもなりました。

ボランティア通訳をする一方で翻訳も始めました。当時はパソコンもだんだん普及し始めていましたから、田舎にいて不利ということはありませんでした。最初にもらったのがフローソフトのマニュアルの和訳でしたが、フローソフトといってもさっぱり何のことやら分からず、ここでも調査、調査の連続です。このように新しい仕事を引き受けるたびにいろんなことを調べざるを得ず、最初は効率の悪いものでしたが、仕事が絞られてくるに従ってだんだん稼ぐ効率は良くなりました。

仕事としての英語力をどんなふうに身につけたか、これでいくらかお分かりいただけたと思います。結局、英語を話そうと思ったら日本語もそれなりに操れる必要があるのです。が、たくさんのネイティブの大人や子供の会話を聞いていると、普段のおしゃべりには短い文を使っていて、難しい文法は使っていないということもわかりました。それは日本人も同じです。私達の普段しゃべっている内容をちょっと思い出せばわかります。おしゃべりに使われるのは多くの場合 and や but などの接続詞を使った単文であり、関係代名詞や関係副詞などは時々使われる程度。仮定法も時々です。中学校までに習った文法で充分話せるようになると私が申し上げるのはこのためです。後はそれを話せるように訓練すること、単語をたくさん覚えること、そして話題を豊富にすることです。普段寡黙な人が英語を話すと饒舌になるということはありません。

今はネット上にあふれるほどの教材がありますから、やり方さえわかればひとりでも充分に訓練することができます。やってみようと思う方は、一歩踏み出して試みられてはいかがでしょうか。