物語の意味

フェイスブックを利用している方はすでにご存じの方も多いでしょう。しばらく前に人種差別に関するエピソードが公開されていました。概略は次のようなものです。

ある飛行機のエコノミークラスでのこと。高齢の婦人が自分の席に座ろうとすると、隣には黒人の男性がいた。黒人の隣に座るのはまっぴらごめんと、彼女はアテンダントを呼んですぐ席を替えるよう主張した。アテンダントは、それでは例外的にファーストクラスに移っていただきましょうと言って、黒人男性の方をファーストクラスに導いた。

この粋な計らいに賛同する人は大変な数に上って数万人の人がシェアしたり「いいね」を押したりしていました。私がその記事を読んで二三日後、人気の記事が表示されるサイトを見ていると、この記事は事実ではないこと、にも関わらず多くの人が騙されてシェアしており、SNSに集まる奴はバカばかりだ、というずいぶんな中傷記事がありました。こんな記事が高位にランキングされているのも残念に思いましたが、それ以上に私が思ったのは、あの記事が事実である必要があるのか、ということでした。

かつて遠藤周作は、聖書の中の話は必ずしも事実である必要はない、聖書を書いた人やキリストを信じる人達にとって、聖書の内容は事実ではないかも知れないが真実であるのだ、という意味のことを書いていました。

また、昨年文学賞を受賞した際に行われた村上春樹のスピーチでも、文学者にできることは大いなる理想を掲げることだとありました。

一歩前に踏み出そうとする時、人は理想や希望に向かって進みます。現実ではなく。

子供には質の高い文学作品を読ませるべきだと私が思うのにはこんな所にも理由があります。高い倫理観を持った人が登場する、よくできた物語を読むことで、子供はその倫理観を自分のものとすることができます。登場人物が経験する苦難やそれを乗り越える様子を疑似体験するのです。

物語に書いてあることが嘘か本当かを問うことは意味がありません。要はその内容をどう捉えるかということです。

真実は、往々にして事実よりも価値があるものだと、私は思います。