じいさんは我慢する

父に用があったので実家に行ってみると、分厚いオーバーを着込んでお地蔵さんみたいに座っていた。室温は5度である。ストーブつけたらいいのにというと、そうさぶないぞよという。これはあながち年をとって感覚が鈍っているからばかりではない。85になる父の若いころは、暖房といっても大した設備はなく、冬は寒いものだとしていた。そして、たくさん重ね着することでそれに対処していたのだ。寒さに慣れ、また寒さに強くもなったのだと思う。

昨年の東電原発事故以来、脱原発ということが随分叫ばれて、その後再稼働した原発は今のところ皆無だ。足りない、足りないと言われた電気も、今はたった2基か3基の原発と火力や水力による発電で大きな支障なく賄われている。電力会社が喧伝するほどには電気は足りなくなかったのではないだろうか。足りないと言いながら、その一方で電気を使うように使うようにとそそのかしてもいたところも怪しい。

原発依存というと、今の便利さを維持しながらということが大前提になっていると思うけれど、少しは我慢するということもして良いのではないかと私は思う。気温5度でオーバーにくるまって暮らせというわけではないが、日々の暮らし方を見直す余裕はまだまだあるし、マクロ的には限りない成長を求めるという姿勢自体を見直してもいいのではないかと思う。

原発をなくすのは非現実的だとして、何十年もかけて廃炉にしてゆこうというのが政府の考えだと思うが、東電や政府のあの事故対応の不味さや原発関連組織の傲慢さと知識のなさを目のあたりにし、それが大きな要因となった今回の放射能被害を思うと、安全基準を引き上げて再稼働するという選択肢は、あまりに説得力がなさすぎる。