西に疲れた母あれば

廃棄物の広域処理が思うように進んでいません。
私は機会あるごとに、地元でも受け入れて欲しいと発言していますが、それは人道的とか社会正義とかそんな大層なことが理由ではなくて、「西に疲れた母あれば、行ってその稲束を負い」たいという単純な理由です。

暮らしの中では様々なことについて考えたり判断したりすることの連続ですが、私の場合これまでに読んだ物語が常にその拠り所となっていることを実感します。

西に疲れた母あれば、というのは知らない人はないというほど有名な「雨ニモマケズ」の一節です。以下にその全文を改めて転載したいと思います。

「雨ニモマケズ」

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ

慾ハナク

決シテ瞋ラズ

イツモシヅカニワラツテヰル

一日ニ玄米四合ト

味噌ト少シノ野菜ヲタベ

アラユルコトヲ

ジブンヲカンジヨウニ入レズニ

ヨクミキキシワカリ

ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ陰ノ

小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ

行ツテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ

行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ

南ニ死ニサウナ人アレバ

行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ

北ニケンクワヤソシヨウガアレバ

ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒデリノトキハナミダヲナガシ

サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボウトヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニ

ワタシハ

ナリタイ