私の町、そして私たちの町

昨日NHK岐阜放送局の震災廃棄物関連のニュースで、岐阜県では関市が受け入れを前向きに検討していると報道していた。

尾関市長が最初にこの件に触れたのは市長になって最初の議会で、公明党幅議員の、受け入れが必要だと思うがという質問に答えた時であった。その時は、個人的には受け入れたいと思うが市民の感情的な環境が整っていないという答えであった。そして今月の議会で、やはり同議員の質問に対して、一歩踏み込んで前向きに検討したい、現地にも視察に行く予定だと回答した。

最初の議会で表明された「個人的な思い」が着実に実行されていることがわかって、私はうれしかった。そして市長を応援したことは間違いではないと確信できるひとつの証左となった。

がれき問題の新聞記事を読んでいると、受け入れを表明した途端に抗議が殺到したとか、中には脅迫まがいのメールが送られてきたなどという記事もあり、市長として受け入れる姿勢を明らかにすることはかなり勇気のいることに違いない。けれども、自分の信じる方向へ市民を説得するのは市長のあるべき姿だと思う。状況が整うのを待つということは物事を実行するときに重要な要素であることは間違いないけれど、その方向に向けて働きかけることも、政治家にとっては同じように大事なことではないか。

一方市民の一人としても、井戸端会議のレベルから一歩踏み出して、手を上げて意見を言い、できれば同じ意見の人と連携して、自分の信じることに向かって行動するということが大切だと思うようになった。先の市長選まで、私はそれまで特定の人を応援したことがなく、市政についても関心がなかった。けれども、あの市長選をきっかけにちょっと気をつけて新聞記事を読んだり、議会を傍聴したりしてみると、ほんの少しずつではあるけれど、だんだん目が開けてきた気がする。今でも政治にはそれほどの興味はないけれど、私たちの暮らしの有り様は起きてから寝るまで、大きな意味では政治の結果だと思う。そしてその政治を作り上げているのは私たち個人の日頃の行動だ。ひとつのことを言うか言わないか、するかしないか、そして誰に投票するか。一つ一つをとってみれば瑣末なことかもしれないが、そういうことの集まりで一つの村の方向が決まり、市や県の指針が決まる。何も言わず、何もしなければ、力のある一部の人達の都合によって決まってしまう。

まずは議会の傍聴あたりから初めよう。議会を傍聴すると、どの議員に投票すべきか、あるいは投票すべきでないか、関市が抱える問題は何か、とてもよく分かる。ドラマ性という点では比べるべくもないが、もちろん議事録を読んでもいい。