活動家一丁上がり

湯浅誠 「活動家一丁上がり」社会にモノ言うはじめの一歩

活動家とは「より生きやすい「場」を作る人」であるという定義のもと、「活動家一丁上がり」講座というのがある。この講座では日頃おかしいなと思っていることを公の場で言うための手段とその実行方法を教えているそうだ。ここには受講前は普通の人だった人が、デモを開催したり議員に働きかけたりして「活動」をはじめる過程が具体的な例と共に説明されている。初めてデモを打ったときは友人を入れて三人きりだったという、いかにも現実的な例があって、なるほどと思うと同時にそんなものだろうと思わせる。他に活動家がどうやって暮らしているか、あまり知られていないその経済面にも光を当てて記載してある。

私達の認識では、活動家というと一般人にはできない抜きん出た行動を取る人ということになっているが、ここでは冒頭に示したように、普通の人が日頃おかしいと思っていることをとりあえず「おかしい」とみんなに言ってみる、それが活動の第一歩だとされる。

私たちのような一般人には、この「みんなに」という始めの一歩がなかなか踏み出しにくい。署名簿に名前を書くことすら初めての時は躊躇する。漠然たる怖さみたいなものが、なぜかあるのだ。ましてやデモに参加してプラカードを持つなどということはなかなかできない。それを可能にするものは何か。気持ちである。

昨年初めて現市長の選挙運動に参加した。それまでは署名さえろくにしたことがなかった私には大きな一歩だったが、それができたのは、市長に対して私が感じた誠実さを応援したいという気持ちだった。その一点で電話をかけたり近所にチラシを配ったりした。最初は、近所の人に働きかけるのが躊躇されたり、こんなことしていいのかなという気持ちも少しあったが、慣れというのは侮れない力を持っていて、運動を続けると共にだんだん違和感が無くなった。

考えてみれば、世の中の有り様はこうして社会にモノを言った人、多くの場合政治家が決定している。そして私たちは意識するとしないとに関わらず、その影響を受けている。そして不満も持っている。であれば、一人ひとりがそれぞれの思いを公にして、議論した上で自分たちの暮らしに関わる物事を決定したほうがいいに決まっている。

最近はネットで個人がモノ言うチャンスはいくらでもあるが、多くは匿名性の高いものだ。匿名での発言は友人同士の個人的な会話とさして変わらない。無責任なことも言いたい放題だ。きちんと名のることは大切なことだ。

公に意見を言う形は何でもいいと思うけれど、これまでのように上からの指示を待つのでなく、とりあえず自分に合った形で言ってみたらどうかと思う。今、それをするにはこれまでに無く条件が揃っているのだから。