尾関市長のこと、つまり政治家のこと

4月12日、尾関市長は宮城県の被災地を視察しました(http://oze-ken.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-02ea.html)。

これはかねてから、がれき受け入れについて判断するために行うと言っていた視察だと思います。

市長がこの件について初めて言及したのは昨年秋の議会で、公明党の議員から質問を受けた時です。個人的には受け入れたいと思っているが、市民の不安が多い中難しい、というのが当時の回答でした。受け入れたいのはやまやまだがこういう状況では難しいというような答弁は、他の件でもよく聞かれる言葉で、いわば政治家が質問の矢をやんわりそらそうとするテクニックともとれるものです。

今年になって再度公明党の議員から、受け入れが妥当だと思うがとの質問があり、視察をすると回答しました。個人的にはがれきを受け入れて処理に協力したいと思っていた私は、先の言葉が単なる方便でなかった事に安心しました。

そして昨日このブログを読んで、半年前の市長の気持ちが着実に実行に移されていることに安心するとともに、市長の正直さを感じました。そして、応援してよかったと思ったのです。

私が選挙に積極的に関わったのは、ここで前にも申し上げましたが、昨年の市長選が生まれて初めてのことです。当初、尾関さんを個人的には全く知らなかったので、本当に応援していいだろうかとやや不安がありました。それでも一歩踏み出したのは、尾関さんの顔に好感をもったからです。ハンサムだから、というのが理由ではありません(市長は確かにハンサムですが)。それは、誠実そうな顔立ちだったからです。一定の年齢を超えると、顔や物腰はその人の人格をよく表すと私は思います。まずは顔立ちで、次に候補者として間近に話す機会を持って、誠実そうな人だと更に感じました。

さて、当選から半年の間に、一つのことが表明され、一歩踏み込まれ、さらにそれが実行されてゆくという過程を見て、初めて私は市長の真摯な姿勢を実感することができました。

信頼というのはこういうふうに築かれてゆくものではないでしょうか。言葉だけでなく行動が伴ってこそ、その人の核となっているものが見えてくる、理解できる。

受け入れ賛成派の私としてはまっさきに手を上げて欲しかったけれど、それは人それぞれ信念ややり方というものがあり、物事をすすめるペースというものがあります。行動しながら考える人もいれば、準備万端整えて行動する人もある。

たとえ市長が結果的に受け入れに反対の立場をとったとしても、上に述べたような真摯な態度を見てからの結果であれば、私は納得できます。

市長というとこれまでは容易にその人柄を知ることができない存在でしたし、従って非常に遠い人でした。ところがツイッターやブログなど、個人の思いを伝えようと思えば簡単にそれができるツールができて、これらを通して市長が思いや考えを市民に伝え、私達市民もそれを読んで、意見さえ言うことができるようになりました。私はこのブログからも市長の人となりを知ることができました。毎日のように更新されているので、日々の何気ない言葉の端々から、中心となっている価値観をつかむことができます。これは、たまにどこかの挨拶で述べる言葉とか、選挙戦で発する言葉のように、ある意図のもとに周到に用意されたものからは決して見えてこない、その人の核とも言うべきものです。

SNSの普及とともに、多くの政治家がツイッターやブログ、フェイスブックを使って様々なことを我々に発信しています。それを丁寧に読んでいくことが、政治に関わる第一歩となり得るような状況です。真面目な態度で書いている人ほど楽しい記事ではないのが通常ですが、読んで楽しいことと中身が充実していることは全く別問題。日頃から丹念に読んでいきたいと思っています。