言語の脳科学

酒井 邦嘉 「言語の脳科学」

私達はどうやって言葉を獲得してゆくか。このような、あまりにも身に付いている能力について、実は学問的立場は未だ確立していない、ということを知って私は少し驚いた。

脳が言葉を獲得するについては二つの理論が主流となっている。ひとつは生まれた時にすでに脳の中に言語を獲得する機能が備わっているという説、もうひとつは真っ白な状態で生まれて、成長するに連れて言葉を習得するという説だ。著者は前者の立場を採っている。理論の説明、脳の中の言語を司る部分の説明を含め、非常に詳細で専門的な本である。

この本を読んでいて私は30年も前に読んだ「アヴェロンの野生児」(ジャン・イタール著)という本をふと思い出した。18世紀、フランスのアヴェロン県の森の中で10歳前後の男の子が発見され、その後言語研究者によって様々な教育がなされた報告書である。発見当時は食べ物を食べるときは皿に口をつけて食べる、言葉が話せない、物を見てうなるなど、動物に似た挙動が見られ、社会性は皆無であった。5年ほどかけて著者はこの子に言葉を教えようとしたが、結局話せるようにならなかったという。また、インドではカマラとアマラという似たような境遇で育った子供の例もある。こちらの方も教育の効果は殆ど見られなかったらしい。「アヴェロンの野生児」は今でも出版されているので興味のある方は読まれるといいと思う。

このような言語活動の基本的なところはともかく、言葉は私たちの考え方と密接な関係にある。本来は自分の感じ方や考え方をできる限り忠実に表現しようとして言葉を使うべきなのだが、実際はどこかで聞いた言葉を安易に使っている。こうして手近にある言葉や流行り言葉を使うことで、その言葉に自分の感情や考え方が影響されるということも事実である。

情報の流通がこれまでになく急激に進んでいる今、メディアから流れてくる、有名人が発した言葉が多用される場面は枚挙にいとまがない。同じような言葉を繰り返しているうちに同じようなメンタリティが形成される。

また家庭では、褒め言葉などの肯定的な言葉が頻繁に使われる環境と、その反対の否定的な言葉ばかりが目立つ環境で育つのとでは、自ずから子供の精神にも大きな影響を与える。

家庭でも社会でも、どんな言葉を発するか、今一度考えてみたいと思ったことであった。