ほんとうの親鸞

島田裕巳 著 「ほんとうの親鸞

先日の「葬式は要らない」が面白かったので、続いて「ほんとうの親鸞」。これも実に面白い。

親鸞にはしばらく前から興味があって、五木寛之の「親鸞」を手にとったが、上巻だけを読んでお仕舞いにした。親鸞という人間が非常に活き活きと描かれているが、あれはあくまで五木寛之の「親鸞」であったから。

親鸞の著作を探したが、ない。親鸞といえば歎異抄。しかし、あれは親鸞の著作ではなく、弟子が親鸞の没後30年以上経ってから書いたものだ。親鸞の著作では唯一「教行信証」というのがあるが、これにしても9割ほどが経典からの引用で、親鸞自身の言葉はごくわずかしか書かれていないらしい。

親鸞の人生についてもほとんど文献はなく、そのひ孫が年老いてから親鸞について書いた「伝絵」という絵巻物みたいなのがあるらしいが、そのひ孫とて親鸞を直接知っていたわけでなく、なおかつ80歳を超えてから昔を思い出しながら書いたもので、どこまでが真実か分かっていない。親鸞の出生についても、疑問が残っているのである。

にもかかわらず、何故親鸞がこうまで人気を呼ぶのだろうか。

この本は、親鸞に関する歴史的資料が殆ど無いにもかかわらず、親鸞という人物がはっきりとした姿を持ち、こうまで人気を博するに至った様々な人々の「思い」を辿ろうとする本である。

二十歳前後のことだが、遠藤周作がとても好きでその著作を随分読んだ。遠藤周作はカトリック信者であったので、キリスト教や聖書についても言及している。その中に、聖書に書かれていることが事実かどうかは問題ではない、それは人々にとって真実であったのだ、という一文があり、私はこれに感銘をうけた。また最近では村上春樹カタルーニャ文学賞授賞式でのスピーチにある「非現実的な夢想家」という言葉にも感動した。この2つの言葉と、「みんなの親鸞」が出来上がった背景には共通する「思い」がある。