The Last Trapper

これほどハラハラ、ドキドキしながら見た映画も珍しい。

カナダ北部ユーコン川付近で、ビーバーの毛皮などを取って暮らす一人の狩人の物語だ。ジャン=ジャック・アノーの映画を思わせる、大衆に媚びることのないシビアな映画だった。ロケはない。すべて現実の厳しい自然の中で映像が撮られていた。この映画は実際の狩人をその主人公とした、記録映画に似た作り方で、氷点下40度にもなる厳寒の地で狩りをする様子、獲物を持って5日もかかって町まで売りに行く様子などが装飾なく描かれていた。犬ぞりで山を超える場面や、急流をカヌーで下る場面など、その描写は文字通り手に汗握るものだ。会話はごく少ない。必要最低限の会話だ。吹き渡る風の音、吹雪の轟音、湖の波の音などの自然界の音が全編を満たしている。

暮らしは、一日一日が命がけだ。食料を確保するためには凍死の危険を犯して猟に行かなければならない。凍結した湖を犬ぞりで渡るときには犬が制御を離れて氷の薄い場所に迷い込み、湖に転落する場面や、山の急斜面を滑落する場面もあった。それぞれの場面で犬が重要な役割を果たして橇と主人公ノーマンを救う。

こういう暮らしをしている間にも、森を切り倒す人の手が刻々と迫り来る。いつまで猟を続けられるかわからない。おそらく自分が最後の漁師になるだろうと、ノーマンは言う。自分は自然界の一部であり、この自然界と仲良くやって行かなければならない、獲物は要る分だけしか採らないというのが漁師の鉄則だ、とも。

文明が立ち上がる前、人はこんなふうに自然の一部となって、周りの森や動物たちを親しく観察しながら暮らしてきたに違いない。そういう中から、人に許されることと許されないこととを学んだ。自然の一部として暮らす日々は多くの知恵を人に与えると思う。宮沢賢治の「なめとこ山の熊」にも同様の猟師の姿勢が見られる。が、印象に残ったのは狩猟民族ならではの「我々が自然を管理しなければこの生態系は崩れてしまう」という主人公の言葉だった。私には賢治の作品に描かれる自然界との関係のほうがしっくり来る。