中田宏 「日本人が持つべき日本人らしさ」

青年会議所が、設立55周年を記念して主催した、中田宏さんの講演会に行って来ました。なるべく順を追ってその内容と私の感想を記してみたいと思います。
話の趣旨は、人の行動は仕組みに依って変わる、ということと、日本人は歴史を再認識してその歴史観を共有しなければならない、というものでした。

まず、行動は仕組みに依存するという話。

岐阜には空港がない、空港を誘致しなかったことは偉い。空港は地域への補助金誘導の最たるものだからだ。日本中の自治体がこぞって空港などの大型施設建設を誘導してきた。中には全く必要性がないものも数多くある。こういうことは無駄である。

空港を作ることで様々な経済的利益が発生するという仕組みになっているので、こういう無駄も発生する結果になった。道州制を導入すればこのように各県で競合するようなことも発生しない。行動が仕組み、つまり制度に依存する例として整備新幹線の例もあがりました。整備新幹線を国が作れば利用者が増えて、JRはその利用料を獲得できて都合が良いが、一方で在来線は赤字になる、廃止するわけにも行かず、第三セクターに運営を移行する。第三セクター地方自治体が運営するものであり、結局は地方自治体の負担が増える。国鉄であった頃は自社の利益を考えなくてもよかったが、今は自社の利益を追求し無くてはならない、だからそういうことになる。

本来は政治家や企業は、確たる信念と公共の利益を考えて行動しなければならないところだが、なかなかそれは期待できない。多くは制度の中で自分の利益を追求する方に動きがちである。


つづいて、日本人は国の歴史を再認識し、これを共有するべきだ、という話。

イギリスのエコノミスト(The Economist)という雑誌の表紙にメルケル首相とオバマ大統領が和服を着ている姿があった。ジャパニフィケーションというのがそのタイトルであり、これの象徴するものは先送り、優柔不断である。つまり現在世界を席巻している経済危機に対してこれといった施策を実行できないということを表したものだったのです。

日本はどうか。今、消費税増税が盛んに議論されているが、増税の真の理由は世界的金融危機に備えるためである。ギリシャはEU全体のGDPのわずか数%しかないような、経済規模の国だが、そこで発生した経済危機が欧州全体を揺るがせている。その後にはスペインやポルトガルも控えている。もし、日本がこのまま財政状況を悪化させれば、国債の利子は下がり、金利が上昇する。この状態を避けるために、これ以上財政を悪化させてはならない。

さて、世界が今日本を見る目はこのジャパニフィケーションに象徴されているとおり、何も決められないという印象である。これは非常に残念なことである。豊かさに安住した結果、能動的に行動することができなくなってしまった結果である。日本の歴史を振り返れば、神武天皇以来今年は2,672年目である。これは他に例を見ない長い歴史であり、その間にこれといった侵略行為にも合わず、無事に存続することができた。このような類まれなる日本の安定した歴史を誇りとし、今後はこれを礎として発展していかなければならない。

一国を滅ぼすにはその国の神話を忘れさせよ、という言葉があるが、現在の日本はこの神話を忘れかけている。すなわち共通した歴史認識が失われたために、目先のことにしか注意が向かず、自己中心的な行動をとり、公を忘れている。社会にも暴力が蔓延している。改めて日本人のアイデンティティとなるべき、共通の歴史認識が必要だ。

ではどうしたらこのような状態から抜け出せるか。仕組みを変更するのである。行動は仕組みに依って変わるからだ。
年度末に工事が集中するのも、予算を消化する必要があるからだ。予算を消化しないと評価が下がる。次年度の予算額にも影響する。このような仕組みが、年度末の集中工事につながるのだ。以前市長であったとき、この仕組を変更して、予算を余らせた人を評価し、人事に反映させた。すると、各課で工夫して予算を有効に使うようになった。こうすることで、予算が効率的に使えるようになり、初年度で8億円、次年度で13億円という大幅な削減ができた。


日本に蔓延する依存体質について。

日本は、国、地方自治体、そして個人に至るまで依存体質になってしまっている。自ら考えて行動するということができなくなっている。地方分権と言われるが、国と地方との関係も依存関係にある。税収は国6割、自治体4割だが、歳出は地方6割、国が4割である。地方の支出される税金は地方交付税や補助金だ。国はどの地方に対しても一律に適用する基準を持っているので、補助金を利用して地方が独自の保育園を作ろうとしても国の基準を満たすことができないために作ることができないなど、地方分権を妨げている面がある。独自性を発揮することを妨げるような仕組みになっているのである。

また首長の側も、一つ上のレベルの長に決定を委ねたりするなど、自ら決定し責任を取ることをせず、上のレベルに責任を転嫁する傾向が多く見られる。これでは地方分権の趣旨に反する。

個人レベルでも制度に依存する傾向が多く見られる。さきごろ問題になっている、働けるのに給付を受けている生活保護も一例だ。

私たちは自立しなければならない。
地方においては税収が少ないことを理由にできないというのはナンセンスだ。教育においては達成度を国が決め、その方法は地方で決めるのが望ましい。また、防衛については尖閣諸島の歴史と地政学的意味を教えるべきだ。

自立するには自ら目覚めることが必要だ。人の成長を考えてみると、幼児、小児のうちは親に依存しているが、やがて成長して自立し、年老いて再度家族に依存するようになる。自分の力が及ばない時には依存も必要であり、それを社会が提供するべきである。

個人、地方、国、あらゆるレベルで、自分でできることは自分でしよう。

おおむね以上のような内容でした。非常にわかりやすく、また時宜を得た内容でした。関市、個人のレベルでも市のレベルでも、自ら行動することを標榜しています。どちらが欠けても地方の自立はありえないということを、この話を聞いて改めて思いました。