人参の種を蒔く

三年がかりでふわふわの土にした私の小さな畑。上に乗っている草からできた堆肥をよけて、人参の種を蒔いた。人参の種はものすごくたくさん入っているので、何回かに分けて蒔く。それでもたくさん発芽するので、抜き菜は天ぷらにして食べる。この天ぷら、カリカリの食感が心地良い。

隣にはぐんぐん育った胡麻が、まだ薄紫色の花を少し咲かせている。こちらの方は、今年どんな虫が食べたのか、随分食べられてしまった。しばらく前には小指ほどもある鮮やかな、大きな青虫くんがいくつも張り付いて葉っぱを食べていたので、一匹ずつ引き剥がして、近くの草むらへ移動してもらった。去年よりはたくさん取れるはず。

その向こうには青々と茂った落花生。今年は間隔を広くとって植えたはずなのに、まだまだ密集している。してみると、一メートル感覚くらいにすると、一株一株がのびのび育つのかな。塩茹での落花生を想像して、今からじゅわっと口の中が、、、

その横には地這きゅうり。きゅうりは地這きゅうりがよろしい。これは原種に近いせいか、よく育つ。地を這うので、手をやる必要がない。今年、父がいつものようにきゅうりの苗を6株ほど買ってきて植えたが、全て枯れ、次の六株も、その次の三株も枯れたり、元気がなかったり。しかし、地這きゅうりはぐんぐん伸びて、たった4粒蒔いた種から、毎日5本を収穫する。すぐそばに細い鉄格子が立ててあるのだが、そこによじ登って育ってもいる。登ると日がよく当たるので、地面に実って下半分が白っぽいということもない。地這に手をやって育てたら、丈夫でどこから見ても元気満々のきゅうりが育つのではなかろうか。

なるべく自然の摂理にかなう百姓をと思っている私は、化学肥料を施さず、耕すこともしていない。それで大丈夫か、と最初は思ったけれど、これが案外大丈夫。もっとも、鶏の糞を肥料として与える。草は鎌か草刈機で刈って、そのまま放置する。そうするとそれが水分の蒸散を防ぎ、肥料にもなり、影にもなりして、そこでミミズが育つ。ずっと放置するとミミズが耕してくれるので、土はフカフカになり、耕す必要はなくなるという理屈。こんな楽な方法があるんだから、みんなこうすればいいと思うけれど、あに図らんやそれはちょっと無理。生産性がひどく悪い。ミミズさんが耕す速度は時速カタツムリだから。

これが出来る人は、足るを知る人のみ。

足るを知るという言葉をはじめて聞いたのは、娘が高校一年の保護者会でのこと。当時の校長先生の話の中だった。どんな話だったか今は覚えていないが、あの手の話では経験したことがない、共感を覚えた。その後、足るを知る者は富む、というのが全文で、老子の言葉だということを知った。