メイ・サートン 「独り居の日記」

表題のとおり、これはアメリカの作家メイ・サートンの日記です。

作品として位置づけられていますが、そういう感じはほとんどなく、普通の日記のようにその日にあったこと、誰それが訪ねてきたとか、庭を掃除したとか、そんなことが書かれています。そして深い内省。

これを読んで私はあることに気が付きました。

随分長い間、自分の心の中をじっくり見つめるということをしていなかった。

なぜこう考えるのか、なぜこうしたいのか、これからどうしたいのか。

高校の頃、私の部屋の窓の外には大きなモチノキがあって、その向こうにはツツジなどの花木が植わった庭があり、更にその向こうは山でした。私は窓の外を眺めながら、実にいろいろのことを考えました。たいていは読んだ本がきっかけとなって考え始め、それからそれへと広がってゆく。さしてまとまりがあるとは思えず、それでどうなったということもないのですが、外の世界から介入を受けることなく、ひたすら自分との会話をしたことは事実です。

そういうことの中から、自分を見つめ、自分のしたいことを知ったような気がする。どう生きるべきか、学んだような気がするのです。

こういう時間はいつの間に失われてしまったのか。

どうもインターネットを使い始めた二十数年前あたりからのような気がします。それはほんの僅かずつ私の暮らしに染みこんで侵食していったので、ほとんど気が付かなかったのだと思います。特にブログを始めてからのこの数年は、人を意識せずに文章を書くということは全くなくなりました。

それでもブログは一方通行の部分が多いので自分で考え出すということが多いのですが、SNSとなると、これは常に一定の仲間とおしゃべりしているようなものですから、参加している間は人の話に触発されることはあっても、自分の中から湧いてくる考えというのは圧倒的に少ないように思います。その分、新しい考え方を知ることができて、いい刺激になるという一面もあります。実際私は、思考回路を発火させるような複数の人にSNS上で出会いました。これは一人でいては不可能なことで、とても喜ばしいことです。

しかし、冒頭に書いたように、気がついてみれば、内省する時間がなくなっていたということはショックです。

自分との会話は、人との意見交換と同じくらい、むしろもっと重要だと私は思っていますから、気が付かないうちにこれが失われていたというのは、私にとって、あってはいけない状態です。

この本を読まなければ、もっと先まで気が付かないままに過ごして、自分を見失ってしまったかもわかりません。これが個人的に抱いた恐れでした。

自分の価値観や考え、好き嫌い、を含め、自分自身というものをいつも確認しておく必要があると思います。そういう個性が集まってはじめて健全な社会ができると思うからです。

もう少し大きな大きな目で見ると、人の意見ばかりを元に意見を言ったり、それに影響されていると、烏合の衆とかしてしまわないか、少し心配になりました。