物言う人

11月3日、読書カフェというものに参加しました。ここでいうカフェというのは喫茶店のことではなく、話し合いのひとつの形式です。こういう形式を最近知って、参加者の意見を引き出すにはとても有効な方法だと思って、その方法を勉強するために参加しました。

参加者はネットの募集などを通じて集まった、二十歳前後の人から40代、50代の人まで十数名でした。前半ではそれぞれの参加者が自分の好きな本を前に出て紹介し、後半にこの集まりでの感想を一言に表して紙に書き、それを発表しました。

テーマが自分の好きな本というだけに、どの人も持ち時間の7分間ほぼ全部を使って思いを述べました。私は宮沢賢治のやめとこ山の熊を中心に、作品を通して語られる人と自然との関係について話しました。

このごろはコミュニケーション能力の不足ということがよく言われますが、ごく若い参加者も自分の考えをとても良く伝えていました。流れるように言葉が出ないのですが、それは多分自分の言葉で話しているからだと思いました。本人はうまく話せなかったと思っているかも知れませんが、私はむしろ、そのとつとつとした話し方に、心に響くものを感じました。

振り返って自分のふだん使っている言葉を考えると、なんと常套句を多く使っていることだろうと思ったのです。若い方々の倍も生きている私は、本もかなり読んでいるわけで、その蓄積から得た様々な形容詞を借用して使っていることがとても多い。二十歳前後の参加者の言葉にはみずみずしさを感じました。

ここに集まった人の立場は実に様々で、ふだん私が交流している人たちとはいろんな意味で全く異なる種類の人でした。年齢を減るに連れて、周囲にいる人はだいたい似たような人ばかりになるので、私にとってはとても新鮮な感じを味わいました。

まとまった形で自分の意見を述べる機会は、ふだんあまり多くありません。ですから、たまに意見を言おうとすると何を言っていいかわからない。こんなふうに感じている人は、少なくないのではないでしょうか。

一方で、意見を求められる機会はとても多くなっていますし、また必要にもなってきています。

このような会に参加することで、自分が何を感じているか、どう考えているか、自ら内面を探ってみる良い機会になります。そして内側を見つめているうちに、だんだん自分というものがはっきり見えてくるような気がします。これで意見を言う準備はできました。

後は人前で話すことに慣れることです。高校生の頃、一分間スピーチというプログラムがあって、生徒は毎日一人ずつ、朝の会で一分間、好きなテーマで話をするのです。私が最初に話さなければならなかった時、ちゃんと準備をして言ったにもかかわらず、クラスの前に出た途端にすっかり忘れてしまって、一言も口から出ず、ものすごく恥ずかしい思いをしました。私を知人は、信じられん、というかも知れませんが、当時はごく内気な少女だったのです。

私がそれなりに人前で喋れるようになったのは通訳養成所に通っている頃でした。定期的にプレゼンテーションをしなければならなかったのです。ここで、言葉を話すタイミングや、内容の構成の仕方など習いました。回を重ねるうちに、だんだん喋れるようになったのです。つまりだれでも練習すればできるようになるのです。

カフェのようなごく気楽な、ふんわりした雰囲気の場所は、こうして自分の意見を人に伝える練習をするには、とてもいい場所ではないでしょうか。このごろ、あちこちでいろいろなカフェが開催されているようですから、参加することには大いに意義があると思います。

それに思いがけない出会いもあるかもしれません。多様な人の意見を聞くことで、自分の考えを客観的に眺めることもでき、これも捨てがたい利点です。

国のレベルでも自治体のレベルでも、私達の声はなかなか届かないと思っている人は多いと思いますが、理由の1つは私達が発言しないからだと思います。自分が何を望んでいるか、自分が住む地域に望むものは何か、よく考えて発言できるようになれば、私達にとって望ましい結果が得られるのではないかと思うのです。